2025年のミャンマー街:震災、都更、華僑学生の増加、食のトレンド


私は2018年から台湾ミャンマー街(華新街)の定点観測をしていますが、2025年もミャンマー街では様々な変化がありました。今回は3月28日にミャンマーで起きた震災とそれに対する在台ミャンマーコミュニティーの反応、ミャンマー街で持ち上がった都市更新に伴う移転の顛末、最近のガチ中華の流れを汲んだ食のトレンドなどを紹介します。



328ミャンマー中部地震に対する反応

2025年3月28日、ミャンマーのザガイン市を震源とするマグニチュード7.7の強い地震が発生し、第二の都市マンダレーやタイのバンコクなどにも被害が広がりました。台湾にもこのニュースはすぐに伝わり、在台のミャンマーコミュニティーでは様々な動きがありました。

3月31日、在台緬甸受災者親友 328緬甸地震災情記者會

最初に催されたのは、HTCの執行長・周永明氏とミャンマー華人の映画監督・趙德胤 Midi Z氏が発起人となって行われた記者会見でした。ミャンマーで発生した地震の被災状況を台湾社会に訴え、台湾で学ぶミャンマー学生の故郷への支援を求める目的で行われました。

【完整公開】LIVE 在台緬甸受災者親友 328緬甸地震災情記者會

4月1日、台緬同心救災隊がミャンマーの被災地へ

台湾ミャンマー街の文化を発信している楊萬利さんを中心に、葉碧珠さんと釋慈廣法師の三名で結成された「台緬同心救災隊」が震災発生直後から募金を募り、ミャンマーの被災地へ物資を届ける活動を行っていました。


4月6日、緬甸歸僑關懷協會の祈祷

ミャンマー街では毎朝10時からの托鉢と、年二回の大型の托鉢イベントが行われますが、震災発生から約一週間後の4月6日(日)に緬甸歸僑關懷協會の主催で、震災支援の募金を兼ねた仏教の僧侶による祈祷が行われました。

緬甸歸僑關懷協會の祈祷イベント

募金入れ

4月11日、台北市立大学のミャンマー華僑学生による祈祷

台湾で学ぶミャンマー人(主に華僑)学生は各都市の大学などの学校に所属しています。4月11日には台北市にある台北市立大学、翌12日には台中の中興大学で「有僑無礙 送愛緬甸」と称した祈祷集会が催されました。

台北市立大学

有僑無礙 送愛緬甸

11日の仕事終わりに台北市立大学へ向かったので、イベントはすでに終了間際でした。

有僑無礙 送愛緬甸

舞台上のボードにはたくさんのミャンマーへのメッセージが貼られています。

祈福牆

席に残された来賓の属性を確認したところ、仏教系・キリスト教系の組織名が書かれたものがありました。在台ミャンマー華僑のコミュニティーとつながりの深い団体なのかもしれません。そのほかミャンマー本国の華人系学校の在台団体などの名前がありました。震災発生からわずかな時間しか経っていないタイミングでこの規模の集会を企画できるミャンマー華僑グループの組織力を感じました。


蒋介石の像の前で記念撮影をする来賓たち

台北市立大学

4月13日、華新街・浴佛節での募金と祈祷

2025年浴佛節ポスター

台湾のミャンマー街こと華新街では毎年4月に浴佛節のイベントが行われます。元々はミャンマーで新年を祝う水掛け祭り(ティンジャン / ダジャン)として行われていたイベントが、華新街では近年「浴佛節」と称する仏教の僧侶による祈祷を主軸にした新住民の文化イベントになっています。

2025年も例年に習い、3月下旬には華新街のあちこちに浴佛節イベント開催を知らせるポスターが貼られました。

その後3月28日にミャンマーを大地震が襲いました。

浴佛節のポスターの上から祈福のポスターが貼られている

震災発生後、華新街を歩いてみると、浴佛節イベントのポスターの上から「祈福 點亮蠟燭 共同祈福」と書かれたポスターが貼られていました。

今年の浴佛節は震災への追悼や復興への祈祷を行うイベントに趣旨が変更されることが決定したようです。

4月13日浴佛節

4月13日浴佛節

4月13日浴佛節

2025年緬甸地震賑災行動 需要您的慈悲與良善と書かれたボードを背景に記念撮影する人たち。

募金の振込先を記したポスター

募金先へつながるQRコードが貼られたプラカード

募金をする市民と中華民國緬甸歸僑協會のスタッフ

4月26日、龍岡米干節でも震災の募金

2025年 龍岡米干節(桃園市)

同じく毎年4月には桃園の泰緬孤軍の子孫たちが集まる龍岡で「龍岡米干節」が行われます。

過去記事

こちらもミャンマーとの関わりが深い人々が集まるエリアなので、イベント会場では震災支援の募金ブースを見かけました。


2025年 龍岡米干節(桃園市)


ミャンマー華僑学生の増加

2021年のミャンマーでのクーデターやそれに伴う徴兵などといったミャンマーでの情勢変化は、現地に暮らす華人・華僑の生活にも大きな影響を与えています。国外に脱出できる機会のあるミャンマーの若者は、各地へ移住を始めています。

2021年(民国110年)以降、台湾で学ぶミャンマー人(華僑)学生の人数は年々増加していることが、教育部の統計からわかります。

台湾で学ぶミャンマーの学生の人数の推移

このグラフは教育部統計處 大專校院境外生數から抜粋したもので、台湾で学ぶミャンマー人(華僑)学生の推移を表しています。

コロナ禍の2020年(民国109年)はミャンマー人留学生の少ない年となりましたが、それ以降は右肩上がりに留学生数が増加しています。

2021年(民国110年) 1,173名
2022年(民国111年) 1,673名
2023年(民国112年) 2,086名
2024年(民国113年) 2,973名

台湾で学ぶミャンマーの学生、学位別では大学部が最多(2024年)

台湾で学ぶミャンマーの学生のタイプ別統計

2024年ではミャンマーから台湾へ学びに来ている留学生のうち、ミャンマー国籍は351名、ミャンマー華僑は2152名となっており、ほとんどがミャンマー華僑の身分で台湾へ渡って来ていることがわかります。

ミャンマー学生の台湾への留学にはミャンマー側の事情だけでなく、少子化と労働力を補いたい台湾側の思惑も関わっています。

今年の3月には《天下雜誌》で「台灣偽留學天堂」という特集が組まれ、現在の華僑学生政策を批判しています。

今回テーマとなっている「3+4 產學攜手合作僑生專班政策」とは、台湾でアルバイトをして技能を学びながら学位が取れることを売りにした制度ですが、実際には安い労働力としての東南アジアの華僑学生が求められているという話でした。


事情は多々あれど、実際に台湾で学ぶミャンマー華僑の学生は増加しており、華新街や台北市内などで見られる光景も少しずつ変化が見られるようになりました。


11月13日、台湾大学ミャンマー学生による文化体験イベント

台湾大学で行われたミャンマー文化体験イベント

台湾大学に通うミャンマー華僑学生たちが11月13日に校内でミャンマー文化体験イベントを開催しました。各大学にはミャンマー華僑学生団体があり、活動が行われていますが、対外向けの文化イベントを開催するのは初めてのことだったそうです。

ミャンマーに住む華人の紹介

台湾に住むミャンマー華人・華僑の紹介

彼らの発表によると、台湾大学に通うミャンマー華僑学生は主にミャンマー北部の出身者が中心だそうです。マンダレーやミッチーナ、ラーショーなどの出身で、現地で華人学校に通っていたと話してくれた学生さんもいました。この辺りの街出身の華人は、祖籍を辿ると雲南にルーツを持つ人が多そうです。南部ヤンゴン出身者が少数派なのは、あちらは福建広東系華人が多いはずですが、現地社会に溶け込んでいる割合が高いからなのかもしれません。

ラペットウッ(茶葉サラダ)作り体験

ラペットウッ(茶葉サラダ)作り体験




タイで流行する麻辣燒烤(ピンヤンマーラー)がミャンマー街にも波及


大学などに通う若いミャンマー華僑が増えると街はどう変化するのか?大学に通う華僑学生たちが皆、華新街付近に住んでいるわけではないので直接的な影響はどのくらいあるのかわかりませんが、私が通っている諾貝爾小吃店の老闆が「最近はミャンマーの若いお客さんが増えたよ」と教えてくれました。

そんな華新街ことミャンマー街で2025年からにわかに増えて来たのが、中国の麻辣を売りにした燒烤店(串焼き屋)です。


麻辣燙や四川涼粉、螺螄粉などのガチ中華は日本でも流行しているようですが、台湾でもここ数年でこういった香辛料を多用した中華料理のお店が増えており、その波がミャンマー街にも及んでいます。

川口幸大編『世界の中華料理』に収録されているキッダヌーン著 「「タイになる」:分かち難く定着したタイにおける中国」では、タイで2000年代後半から出現したピンヤンマーラーの話が紹介されていました。それと同じ現象がこちらでも起きているように感じます。

(前略)麻辣パウダーで味付けされた串焼きであり、最も人気のある食べ物だと考えられている。ここ数年、タイ北部、とりわけチェンマイやチェンライではこうした串焼き店が劇的に増加している。

出始めた当初、ピンヤンマーラーは「ピンヤン雲南」と呼ばれていた。中国の串焼きは「焼烤シャオカオ」と呼ばれ、雲南の昆明に多くの店舗がある。ピンヤンマーラーの売り手は、タイでこうした中国の串焼きを最初に売り始めたのはチェンライのメーサーイ群に住んでいた雲南系の中国人だと語った。(The Momentum 2017)

プッティダ・キッダヌーン著 「タイになる」:分かち難く定着したタイにおける中国。第4節「中国本土からの新たな中華料理の波」より引用(p94) 川口幸大 世界の中華料理

参考元の記事


2025年11月現在、台湾ミャンマー街周辺には3軒の燒烤店(串焼き屋)が開業しています。

最初に麻辣の串焼きを売り始めたのは2023年にお店を構えた花姊麻辣家。ここの老闆娘は雲南系ミャンマー華僑で、お店を構える前は傣族姑娘前の騎樓で揚げ物を売っていました。お店を構えてからは雲南系の香辛料を使った料理を出すようになりました。 

回味燒烤吧のメニュー

続いて二軒目、回味燒烤吧は2025年の春先(3月頃?)にオープンしたお店で、夜遅くまで若者で賑わっています。

これまでミャンマー街といえば、朝早くからお店が始まり午後3時にもなると多くのお店が閉店じはじめるという時間の流れが一般的でしたが、2025年には串焼き屋が現れ、夜の風景に変化が見られるようになりました。

回味燒烤吧

串焼き屋のメインユーザーは若いミャンマー人・華僑が目立ち、これまでとは違う一面を見せています。お酒を置いているのもこれまでのミャンマー街ではあまり見られなかった特徴です。

回味燒烤吧のメニュー

燦爛時光の跡地に入居したMay Myo Vibe

興南路には東南アジアの書籍を扱う図書館兼イベントスペースの燦爛時光という本屋がありました。そのお店が今年4月に閉業し、秋頃にその物件に入ったお店も串焼き屋でした。

三軒目の串焼き店May Myo Vibeは最近の中国っぽいネオン灯で装飾された店構えで、お客さんも年齢層が若く、ミャンマー語で会話をされている方が中心でした。そしてメニューもミャンマー語のみで書かれていました。

May Myo vibeのメニュー(ミャンマー語のみ)



May Myo Vibe

ピンヤンマーラーという雲南発のトレンドが、タイ北部だけでなくミャンマーにも雲南系の住民を通して広がったのでしょうか。SNS時代の食文化の拡散力を感じます。

華夏大学前にできたお店・見一面

串焼きだけでなく、ガチ中華として日本でも知名度が上がっている螺螄粉(タニシビーフン)もミャンマー街で提供するお店が現れました。螺螄粉自体は台北でも数年前から提供する店が現れ始め、若い人には人気があります。そんなトレンドを意識しているのか、ミッチーナ出身の老闆娘が開いた「見一面」でも螺螄粉がメニューに載っていました。ラペイエ(ミャンマー式のミルクティー)と螺螄粉を一緒に食べられる日がくるとは驚きです。

螺螄粉(タニシビーフン)


都市更新による立ち退きの顛末

華新街

話は全く変わりますが、2025年のミャンマー街をとりまくもう一つの大きな話題が、都市更新に伴う建物の撤去と立ち退き、お店の移転でした。

最初に移転を発表したのは私の知る限りでは清真雲南小吃で、3月頃に店内に張り紙で移転の告知がされていました。

清真雲南小吃(移転前)

都市更新により取り壊しされるのは華新街50號から64號に当たる3階建の建物で、いずれは12階建のビルになるという話です。これが完成したら華新街の風景は大きく変わるでしょう。当初は夏頃には全ての入居者が移転し建物の取り壊しが始まる予定だったという話でしたが、11月末現在、まだほとんどのお店の移転は完了していません。

取り壊しが決まっている3階建の建物

華新街58號~64號

日曜にチャリティーを行う小叮噹(華新街50號・元の住所)

3月15日に張り紙の予告通り清真雲南小吃が新しい物件に移転完了しました。新しい住所は華新街と平行に走る忠孝街1巷18號(map)です。

清真雲南小吃(移転先)


5月には華新街50號の小叮噹が忠孝街2之17號(map)に移転しました。このお店は毎週日曜の午前に民主化を求める市民によるチャリティーも行なっている所で、お店の移転に伴いチャリティーの開催場所も移動しました。

移転先・忠孝街2之17號

移転先・忠孝街2之17號

軍政に反対する方々のお店なので、彼らのイデオロギーが反映された店構えとなっています。

移転先・忠孝街2之17號

忠孝街2之17號の騎樓でチャリティーを行う有志

小叮噹の新しい店内(開業準備中)

日曜には多くの人で賑わう

しかし前述した通り、立ち退きが順調に進んでおらず、11月末の現在でも工事は進展していません。それを受けてなのか、小叮噹は10月の時点で元の物件(華新街50號)に戻っています。

元の住所(華新街50號)に戻って来た小叮噹およびチャリティー(2025年10月撮影)

日曜のチャリティーで販売される食べ物など

品物は毎週内容が変わります


華新街64號の勃固小吃店(2025年7月撮影)

7月には勃固小吃店が移転しました。新しい物件は元々Hoe Hoe Kyawが入っていた忠孝街1巷43號(map)です。

勃固の古い看板

華新街の中でも古くから営業している勃固小吃店。今の看板の奥にはおそらく開業当時のものと思われる味のある看板があったので、これが無くなってしまったのは悲しいです。

勃固移転の張り紙

勃固移転作業中(2025年6月頃撮影)

勃固移転先・忠孝街1巷43號

かなり不可解な現象なのですが、8月には勃固小吃店の跡地に「母親的恩情(レストランの名称)」が入居して来ました。当然勃固小吃店の跡地も取り壊し対象の物件なので、なぜこのタイミングでここに移動して来たのかわかりません。臨時の措置なのかもしれませんが、立ち退き交渉の難しさが表れているのかもしれません。

本当に新しいビルは立つのでしょうか。


新しくオープンしたお店

移転したお店や串焼き屋以外にも、ミャンマー街には今年も新しいお店がいくつか増えました。2023年の記事でも書いたのですが、この街は高齢化はありつつも、いつも活気で溢れています。

過去記事


ရွှေတောင်ကြီး東枝 擺夷緬甸料理小吃店 (map)


လဝန်းသစ် La Wunn Thit (map)


永麗小吃店Halal (map)


さらにおまけですが、11月には恒例のダディンジュッ點燈節も開催されました。

11月1日に開催されたダディンジュッ



終わりに

浴佛節

私は2018年からミャンマー街の定点観測をしていますが、2025年のミャンマー街もいろいろな変化がありました。2021年には軍事クーデター、今年は3月28日の震災があり、ミャンマーでは厳しい状況が続いています。その度に台湾のミャンマーコミュニティーは団結力を発揮し、デモや支援活動などが迅速に行われて来ました。

どちらもミャンマー本国での不幸な出来事がきっかけとなり、ディアスポラである華新街にも様々な変化がもたらされています。

今年は特にミャンマー華僑学生という新たなグループが増えたことにより、文化イベントや食のトレンドといった分野で変化が起きた年だと思いました。



参考資料

台湾にあるミャンマー関連のFacebookページ
台湾ミャンマー街の文化を発信する楊萬利さんの新しい組織



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