2021年ミャンマーの軍事クーデターに対する台湾ミャンマー街の反応

新北市華新街

2021年2月1日ミャンマーで軍事クーデターが発生

すでに多くのメディアが報じているように、2021年2月1日にミャンマーで国軍によるクーデターが起こり、アウン・サン・スー・チー国家顧問らを拘束しました。

【解説】 ミャンマー国軍のクーデター、なぜ今? これからどうなる?

私は台湾にあるミャンマー華僑のコミュニティによく出入りし、彼らが台湾へ移住することになった経緯や、ミャンマー街形成の歴史を調べています。

クーデターという大きなニュースを知り、日本や世界各地のミャンマー人たちが抗議活動を展開する中、台湾のミャンマー華僑たちの思いを知るべく、華新街(通称ミャンマー街)へ話を伺いに行きました。

この記事では主に台湾ミャンマー街で見聞きしたことをまとめていきます。

台湾のミャンマー街とは

台湾のミャンマー街「華新街」

通称ミャンマー街と呼ばれる新北市中和区の華新街は、1960年代からミャンマーの華僑が移り住み、次第にミャンマーの文化を再現した特色あるコミュニティとなっていきました。

現在では華新街のある新北市の中和区には約4万人のミャンマー華僑が住んでいると言われています。

ミャンマー華僑の台湾への移住のきっかけは、1960年代のネ・ウィン政権時代の店舗の国有化などによる経済的な打撃や、中国語教育を受けるためだと言われています。

大規模なミャンマー華僑の台湾への移住が最初に起こったのは60年代ですが、80年代や21世紀に入ってからも途切れずに続いています。

そして台湾に移住してからも、ミャンマーに家族や親戚が残っている人もかなりの数に登ることがこれまでの聞き取りから情報を得ることができています。


ミャンマー街形成について詳しくはこちら:



クーデターが起こった2月1日の夜にミャンマー街を訪れた時のこと。

街の様子は普段と変わらないようでしたが、お店の人に話を聞くと、いつも騎樓でお茶を飲みながら世間話をしている住民たちは、もっぱらクーデターのニュースについて話をしていたとのことでした。


 2月1日の時点では華新街では抗議運動が起こっている様子はありませんでしたが、2月5日にミャンマー街のことを対外的に発信する地元のグループ鳴個喇叭!緬甸街からデモの知らせが届きました。


2021年2月6日土曜日、華新街でのデモ

2月6日の朝10:00から、華新街から華夏科技大學までの道を行進してミャンマー国軍に抗議の意を表すデモが行われました。

デモを呼びかけたのはミャンマー人の杜先生( KOKO THO / ココナイトゥ)さん。



寰宇新聞台


華視新聞


華視新聞の取材に応じたミャンマー華僑の黃彩芳さんは「私達の共通の敵は軍政府だ」と答え、ミャンマー華僑もミャンマー人と同じ側にいると話しています。

毎日新聞
ミャンマー国外もデモ 世界から「反軍政」訴え


デモ翌日の華新街


デモ翌日の2月7日に華新街を訪れると、前日のデモで使われたスローガンや、ミャンマーで今なにが起こっているのかを伝えるチラシが通りの各地に貼られていました。



これらのビラには「捍衛緬甸民主(ミャンマーの民主主義を守れ)」「反對軍方政變(軍のクーデターに反対)」「釋放翁山蘇姬(アウン・サン・スー・チーを解放せよ)」というスローガンが印刷されています。


ミャンマー民主化の歌《世界不滅》の歌詞もありました。


街の人に話を聞くと、ミャンマーでの軍事政権は今に始まったことではなく、これまでも影響力を持っていたことや、同じような民主化を求めるデモと弾圧は1988年にも起こったことを教えてもらえました。


ミャンマー本国での不安定な政治や排華運動は、華新街に暮らすミャンマー華僑が台湾など他の国へ移り住むことになった理由でもあります。


厳戒態勢だった当時のミャンマー社会の様子を教えてくれた住民もいました。相手は軍なので、抗議運動をすると市民に死者がでるかもしれないことを危惧する声も聞きました。


NLDの赤色を使った張り紙も見かけました。




ミャンマーや東南アジアの食品や雑貨を売る商店では、NLDの赤色のTシャツを販売していました。

2月6日のデモにもこのTシャツを着た人の姿が見られた他、7日以降も一部のお店の店員さんたちが赤色の服を着ているのをみかけました。


2021年3月21日には自由廣場でデモが行われました。その時の様子はこちらの記事

ミャンマー街についての他の記事:

▶︎年中行事から見る、台湾のミャンマー街で感じるミャンマーらしさ
▶︎台湾のミャンマー街・華新街で食べるべき定番ミャンマー料理10皿(+α)


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