ジャカルタのスラバヤ通り骨董街で大正〜昭和の型紙摺絵碗に出会う


2026年2月の春節休みを利用して、マニラ~ハノイ~インドネシア(ジャカルタ・チレボン・バンテン)旅行へ行ってきました。今回はジャカルタのスラバヤ通り骨董街で、近現代の日本やヨーロッパ製の陶磁器を見てきたお話です。




骨董街・スラバヤ通り


ジャカルタの中心に近いスラバヤ通りは高級住宅街に囲まれた道路で、1960(70?)年代から物を売る人が集まり、次第に骨董街として発展したと言われています。

インドネシアの木製のお面、バティック、中国・日本・ヨーロッパなどから渡ってきた陶磁器、レコード、家具など様々なアンティークを扱うショップが通りに沿って軒を連ねています。

スラバヤ通り


ヨーロッパ製のプリントウェアーなど

特に多くの店が扱っていたのが近代以降のヨーロッパ製のプリントウェアーです。私が普段生活している台湾では、骨董屋でこれほど多くのヨーロッパ製の食器を見ることはないので新鮮に感じました。台湾の近現代の遺跡からの出土も多くはありません。

これらの銅版転写の皿はおそらく18世紀以降のイギリスやオランダで作られたもの。当時インドネシアを統治していたオランダがもたらしたものでしょうか。


かなり現代のお土産っぽいものも

このなんでもありそうな感じが良い

ジャカルタで多く作られたというガラス絵


ジャカルタで大正〜昭和の砥部焼と出会った

型紙摺絵碗

これまでの研究で明治以降に東南アジアへ日本製磁器が輸出されていたことは明らかになっており、今回の旅行では現地の博物館や骨董店でそれらが見つかればと淡い期待をしていましたが、さっそくお目にかかることができました。

通りの南側から一軒ずつ見て回っていたら、序盤のお店で型紙摺絵の染付碗を見つけました。

過去記事「砥部焼か北投焼か?型紙摺絵染付鶴紋碗の謎を追う」でも言及したように、私はひょんなことから台湾・北投の型紙摺絵染付鶴紋碗の謎を追うことになり、以来型紙摺絵には目ざとくなっています。

ジャカルタ・スラバヤ通り骨董店に並ぶ型紙摺絵の染付碗たち。その隣には18〜19世紀頃に有田で焼かれ、輸出する醤油の容器として知られるコンプラ瓶が鎮座しています。

コンプラ瓶と型紙摺絵碗

型紙摺絵(ステンシル技法)で絵付けされた染付碗。この「福寿紋」は台湾でもよく出土するタイプで、見込み部分にハマ(焼成の際に使う窯道具で、重ね焼きの際に上下の個体がくっつかないようにする)の目跡が5カ所に入っています。

福寿紋の型紙摺絵碗(見込み)

よく見る「福寿紋」碗の他に、「松竹梅」の文様が入った個体もあり、こちらを記念、およびサンプルとして購入しました。大正〜昭和初期頃の日本からはるばるインドネシアまで輸出された型紙摺絵染付碗を、台湾へ持ち帰ります。(台湾では出土はするものの、骨董屋で売っているのを見たことがないのです)

松竹梅文の型紙摺絵碗(手に持っているものを購入)

帰台後、お世話になっている砥部焼研究の考古学の先生に尋ねたところ、これらは愛媛県で作られる砥部焼の可能性が高いとの返事をいただきました。

砥部では大正6年には東南アジア向けの「伊予ボール」(伊予の型ずり茶わんと呼ばれるブランド名)を中心に生産の80%が海外へ輸出されたと言われているだけあり、台湾やインドネシアでもお目にかかれるポピュラーなやきものなのです。

沖縄でも「スンカンマカイ」の名で、砥部焼きの型紙摺絵染付碗が大流行していました。


18~20世紀の陶磁器、沈没船の水揚がり品も


日本製の型紙摺絵染付碗以外に、中国製・ヨーロッパ製の磁器もバラエティー豊富で、中国製は景徳鎮産の美術品から上質の食器、貿易陶磁ではおなじみの福建・広東系の庶民向け食器、龍泉窯などの青磁などがありました。ヨーロッパのものは、銅板転写で絵付けされたいわゆるプリントウェアーの皿やティーウェアのほか、酒瓶のような容器も見られました。

中国製青花碗

左奥に清代福建広東の青花盤が佇む

清代華南(福建広東)製の青花盤や、霊芝紋の腕や皿、印青花(スタンプによる絵付け)の碗など、大量に生産された商品がかつてバタヴィアの港から上陸したのでしょうか。このような典型的な貿易陶磁は台湾でもよく出土します。当時の貿易ネットワークにより、世界は海で繋がっていたことを示す資料です。

大好きな霊芝紋皿と碗!

清代福建広東製の印青花碗

沈没船からの水上がり品と思しき龍泉窯(?)青磁

中には輸送中に沈没してしまい、船ごと海底でタイムカプセルとなった積荷が近年サルベージされたと思われる水上がり品も骨董屋に並んでいました。

水上がり品と思しきテクスチャーの青花碗

水上がり品と思しき青花盤

そのほかおそらく19世紀末期以降に日本で作られた銅板転写で絵付けされた杯など、年代がより新しいものもたくさんありました。

銅版転写の杯

型紙摺絵碗

ヨーロッパ製のものは前述の通り、プリントウェアー(銅板転写)の皿がどのお店でも取り扱いが多かった品目でした。絵付けはブルー&ホワイトだけでなく、褐色や紫色などバラエティーに富んでいます。裏の印を確認していませんが、オランダ・マーストリヒトのペトルス・レグー Petrus Regout 社の銅板転写皿もありそうです。そのほかカラフルな上絵付けの皿もありました。(これらもマーストリヒトウェアーかも)

ヨーロッパ製プリントウェアーなど

銅版転写の皿

ウィローパターンの銅版転写の皿(プリントウェア―)

ヨーロッパ製には典型的なウィローパターンの皿もありました。これも台湾ではほとんど見かけないものなので新鮮でした。

ヨーロッパ製の瓶

ヨーロッパ製品は食器だけでなく、酒などの容器として使われていたやきものも見かけました。この褐色の瓶は台湾でも出土例があるものに近いと思います。

1624〜1662年にオランダが台湾を占領し、台南のゼーランディア城を拠点としていた頃のものではなく、時代の下った天津条約以降に港が開放されてから入ってきたものですね。

ヨーロッパ製の瓶




ランプを専門で扱う店も多かった

私は陶磁器に興味があるのでそればかりに注目してしまいますが、他にもランプやガラス製品など多種多様な骨董があり、台湾の福和橋蚤の市のような雑多感をかもしていました。

レトロなガラスコップ




同行してくださったインドネシア在住のNaoさん(@naonishimiya)がお店の方にayamのお碗(公雞碗)はないかと尋ねてくださり見せていただいたのがこちら。

見たことがないタイプの公雞盤

過去記事「バンコクで粥ぐび〜公雞碗をめぐる南洋の旅〜」で言及した公雞碗は、華人(潮州人や客家人)を通して東南アジア各地へもたらされ、今でも現地の生活に根付いています。

タイやマレーシアはもちろん、ここインドネシアでも麺料理を提供する際に用いられる様を現地で観察しましたが、スラバヤ通り骨董街ではこれまで見たことのないタイプの絵柄の鶏(鳳凰?)と出会えました。

アラビア語が書かれた皿も多い

また、イスラム文化圏であるインドネシアらしいアラビア語の文字を施した皿もこの骨董街や博物館でも和多く見かけました。



インドネシアに残る型紙摺絵染付碗

Museum of Fine Art and Ceramics

骨董街のほか、博物館や遺跡でも近現代のやきものを見かけました。

ジャカルタ・コタ地区にあるMuseum of Fine Art and Ceramics(絵画・陶磁器博物館)では2点の型紙摺絵染付碗が展示されていました。

日本製型紙摺絵染付碗

これも骨董店で見かけた見込みに5つの目跡が残る型紙摺絵染付碗なので、大正〜昭和に輸出された砥部焼かもしれません。

日本製型紙摺絵染付碗


終わりに

今回のインドネシア旅行ではジャカルタの他にチレボンとバンテンへ行ったのですが、行った先でも同じようなヨーロッパ製のプリントウェアーをたびたび見かけました。

300年に渡るオランダによる統治と、海で繋がれた陶磁器のネットワークを伝える物品がインドネシア社会に取り入れられ、保存されている様子を伺うことができました。

特にチレボンのイスラム聖人スナン・グヌンジャティ廟や王宮ではレンガ壁に埋め込む形で陶磁器が装飾に使われており、18世紀頃の肥前・中国・ヨーロッパのやきものの様相を知ることができました。









次回以降の記事でこれらのやきものについても書いていきたいと思います。




参考資料





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