花蓮県考古博物館の展示品。「花蓮港小學校」の文字入り湯のみ |
”考古学”と言えば、石器時代などはるか昔のことを研究していると思っていませんか?
実際の考古学は人類の誕生から1秒前までを研究範囲としており、発掘という方法を通して人類の過去を知ることを目的としています。(*恐竜は掘ってません)
今回の記事では、考古学者が研究する台湾の日本統治時代について紹介したいと思います。
これってゴミじゃないの?
台北MRT北門駅 |
台北の地下鉄、MRT緑線の北門駅にはちょっとした展示があります。この駅を作る際に見つかった清代の遺構や、日本統治時代の陶磁器やレンガが展示されています。
数年前に妹が台北に来たとき、MRT(地下鉄)の北門駅へ立ち寄ったので、展示を見てもらったのですが…
「これってゴミじゃないの?」
という、身も蓋もない感想をいただきました。
21世紀を生きる現代人から見れば、現代に近い100年とか50年前の遺物ってゴミに見えるのかな?新石器時代や青銅器時代の遺物とかは確かにレア感あるけど…。
考古学的にも近現代考古学という分野は最近になって注目されるようになった時代区分で、かつてはあまり詳細に研究されていなかったそうです。
そもそもここに展示されているような割れた陶磁器やガラス瓶などの出土品は、当時の人にゴミとして捨てられたものなので、ゴミと言って間違いではないのですが、考古学者にとってゴミは大切な研究材料となるんです。
ゴミから何がわかるの?
花蓮県考古博物館に展示されている日本統治時代の色絵磁器 |
割れた磁器製の茶杯、身を食べられた後の貝殻、玉器を作る際に出た削りカス…。こういったゴミは、考古学者にとって、その時代の人々の暮らしを復元するための材料となります。
かつてその地で暮らしていた人たちはどんな家に住んでいたのか、何を食べていたのか、どんな道具を使っていたのか。考古学者は出土したモノから、過去の人類の生活を復元していきます。
花蓮県考古博物館に展示されている日本統治時代のガラス瓶 |
文献による記録のない石器時代や青銅器時代に限らず、近世・近代・現代であっても、同じようにモノを通して当時の様子を探ることができます。
例えば貿易陶磁の分野では、清代の華南地方で生産された磁器が江戸や琉球の遺跡で出土したならば、それは当時の流通や生活様式などを知るための手がかりとなります。
文字に残された資料と実際の出土資料とを照らし合わせれば、文献だけでは見えにくい当時の暮らしのディテールを補うことができるほか、出土資料はより細かく庶民の暮らしに焦点を当てることができます。
台湾における近現代考古学の研究:日本統治時代を掘る
花蓮県考古博物館の日本統治時代の展示品 |
台湾では考古学の研究は日本や中国、ヨーロッパなどに比べると発展は遅れています。学者の数も少なく、専門的に学べる機関も限られています。
台湾における考古学の研究が始まったのは日本統治時代(1896年)ですが、ここ20〜30年でいわゆる台湾の歴史時代(文字資料が現れる17世紀以降)を研究する「歴史考古学」の事例も見られるようになりました。
日本統治時代の台湾(1895〜1945年)では、日本からの移住者増加に伴い、彼らの生活用品として使われるために運ばれてくる日本製の道具も増えて来たようです。これまで行われた発掘調査では、花蓮県や台北の小学校の教職員宿舎跡から瀬戸美濃や九谷焼の茶杯などが出土しています。
詳細はこちらの論文:
趙金勇、鍾亦興(2012)花岡山與大龍峒遺址的近現代陶瓷消費,《考古人類學刊》第76期
台湾近現代考古学関連の展示はどこで見られる?
日本統治時代の出土品を常設展示している博物館は、私の知る限りでは2021年9月現在で花蓮県考古博物館と、中央研究院歴史言語学研究所の文物陳列館のみだと思います。それに加えて、前述の台北市のMRT北門駅の公共スペースにちょっとした展示があります。
近現代を専門にしている考古学者がいないためか、分野としてはまだまだ発展途上だと言えます。
花蓮県考古博物館へ行ってきました
花蓮県考古博物館 |
台湾東部にある花蓮県考古博物館は2021年2月に開館したばかりの、考古学を専門とする博物館です。台湾鉄道の花蓮県豐田駅から徒歩ですぐのところにあります。
花蓮県考古博物館に展示されている日本統治時代の色絵磁器 |
台湾東部の花蓮豐田は今でも有名な玉(ネフライト)の産地ですが、新石器時代にはすでに玉の採掘や加工が行われており、台湾島内部だけでなく、海を渡ってフィリピン、ベトナム、タイなどにも伝わっていました。
新石器時代の東南アジア各地で出土しているLing Ling-oと呼ばれる玉の装飾品について、以前タイ中部のウトン国立博物館へ行った時の記事で少し紹介しています。
花蓮県考古博物館には、地元で行われた発掘調査で出土した様々な時代の遺物が展示されており、その中の一角に日本統治時代の遺物も並んでいました。
花蓮県考古博物館の展示品 |
当時の人々が使っていた目薬などの容器。陶磁器やガラス製のものは地中でもそのまま残っています。参天製薬やメンソレータムと書いてあるものも。
花蓮県考古博物館の展示品 |
食器類は日本から持ち込まれた瀬戸美濃焼・九谷焼・萬古焼そのほか九州系の窯元製の碗や湯のみなどが出土しているようです。
趙金勇、鍾亦興(2012)は、花蓮の花岡山遺跡と台北の大龍峒遺跡での発掘調査で出土した遺物の性質の違いから見る、両地域の消費傾向について書かれた論文です。遺跡にはそれぞれ小学校・公学校の教職員宿舎があり、当時の教師が使っていた食器類が出土しているとのことでした。
内容をかいつまんで紹介すると、花蓮の方は日本人の移民が多い地域で、教師の社会的地位が高かったこともあり、使われている食器は九谷焼や九州系など高級志向の茶杯が多く見られたこと。反対に台北の方は周りは漢人の多い地域で、高級な器はあまりなかったようです。
中国語で「炫耀性消費(日本語だと顕示的消費かな?)」という用語があります。自分をどんな人間だと見せたいかを所有するモノによって演出する…という概念なのですが、花蓮の出土品から、当時の日本人移民村に暮らす小学校の教師は、高級品である九谷焼の湯呑みを来客に使ってもらうことで自身の社会的地位などを表していたのでしょうか(食事に使う碗よりも、茶杯の方が対外性が高い)。また、当時の小学校教師はそれを購入することができるだけの経済力を持っていたということも推定できます。
終わりに
花蓮県考古博物館の展示品 |
花蓮県考古博物館では地元で出土した新石器時代から金属器時代の遺物だけでなく、台湾ではまだ珍しい日本統治時代の遺物を見学できます。日本統治時代の建築物は台湾各地で修復され保存されていますが、実際に当時の人びとが使っていた「もの」を見ることができるという点で、花蓮県考古博物館は来訪の価値のあるスポットだと思うので、ぜひ訪れてみてください。
実際に花蓮県考古博物館を訪れた時のツイート群
花蓮縣考古博物館で良かったのは近現代の遺物も展示していたこと。台湾はそもそも考古学博物館が少ないですが近現代を扱っている館はありません。花岡山遺址出土の日本統治時代の薬瓶など#台湾考古学
— amikawa (@amikawa125) February 4, 2021
詳細:
趙金勇、鍾亦興(2012)花岡山與大龍峒遺址的近現代陶瓷消費
76期https://t.co/0h31XExRtk pic.twitter.com/EnJA28aaa3
花蓮県考古博物館について
住所:花蓮縣壽豐鄉市場1號
開館時間:9:30~16:00(月火休館)
ウェブサイト:https://hlam.hccc.gov.tw/, Facebook
アクセス:台湾鉄道「豐田駅」から徒歩13分
参考文献
趙金勇、鍾亦興(2012)
花岡山與大龍峒遺址的近現代陶瓷消費,《考古人類學刊》第76期
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