17世紀の台湾歴史考古学:基隆和平島のスペイン修道院の発掘


大航海時代の17世紀、オランダ人とスペイン人が台湾島に上陸しました。オランダ人は1624年に台南の安平にゼーランディア城を築き、スペイン人は1626年に台湾北部の和平島(旧称:社寮島)にサン・サルバドル城(聖薩爾瓦多城 / San Salvodor)を築きました。

古い地図などの史料にはサン・サルバドル城の存在が残されていますが、建物はすでに地表からは消え去っています。そんなスペイン人の痕跡を探る調査が行われており、2020年にその成果発表会が行われました。

今回の記事では、2020年9月19日~11月1日まで行われた『聖堂回想―和平島遺址藝術教育推廣計畫』の展示と、保存された修道院の発掘現場について紹介します。


スペイン人の遺構を探して

和平島は台湾北部の港町・基隆の港の北東にある小島です。スペイン人が来訪するまでは台湾原住民族のケタガラン族(凱達格蘭族)の支族バサイ族(馬賽族)が暮らしている地域でした。


17世紀に東北海岸から台湾島に上陸したスペイン人は和平島に拠点を築きました。地図に描かれていたサン・サルバドル城(要塞)は四角形の稜堡式城郭で、周辺には修道院や集落もあったようです。

台灣基隆聖薩爾瓦多城模型.jpg

國立臺灣歷史博物館 斯土斯民-臺灣的故事 古遺跡模型, Public Domain, Link

しかしサン・サルバドル城が建っていた場所は、現在は造船工場になっており、発掘調査や公開するのが難しかったため、調査対象はスペイン時代の修道院Convent de Todos los Santosに変更されました。

『聖堂回想』のガイドブック(PDF)によると今回発掘された修道院跡は、「スペイン人が1626年から1642年まで台湾にいた」事を表す唯一の直接的な根拠だそうです。

聖堂回想のガイドブック

発掘調査は基隆文化局の委託を受けて、新竹市にある清華大学人類学研究所の臧振華教授が率いる考古学チームと、スペインの考古学者Maria Cruz博士によって行われました。この計画は2018年に始まった『大基隆歷史現場再現整合計畫』の一環で、「聖薩爾瓦多城暨修道院考古發掘計畫」として、2019年の5月から調査が行われました。

和平島の和一路と平一路の二つの地点で発掘が行われ、3000年前の新石器時代・圓山文化の遺物をはじめ、スペイン、清、日本各時代の遺物が出土しました。

駐車場の一部が発掘されました

平一路の発掘現場は現在では駐車場になっている土地で、修道院の建物の一部が見つかりました。この発掘現場は現地で保存されているので、成果発表の展示期間終了後も見学することができます。



発掘の成果発表会『聖堂回想』

2020年秋に和平島で行われた『聖堂回想』展

2020年の9月19日から11月1日までの期間、和一路の発掘が行われた場所に臨時のコンテナハウスが建てられ、調査で分かった和平島の歴史についての展示が行われていました。

デフォルメされてアイコン化した出土品がかわいい

開催期間も短く、規模も大きくない展示でしたが、私が訪れた日は地元の小学生のグループが見学に訪れていました。

コンテナハウスが展示場になっていました

このコンテナハウスが建っている和一路の発掘では、約3000年前の圓山文化の遺物や、台湾北部に広がっていた金属器時代の十三行遺跡と同様の遺物も出土しており、先史時代から人類が生活していたことを物語っています。

『聖堂回想』展示場の入り口

展示は発掘された遺構の模型や地図、各時代の出土品のレプリカなどがありました。出土品は現物ではなく全てレプリカだったので、この展示の役割は情報センターといった感じでしょうか。

1667年にオランダ人が作成した台湾海域の地図に描かれた和平島の部分

オランダ人が17世紀に描いた台湾の地図に、和平島とサン・サルバドル城の姿が見えます。

スペイン人が台湾北部を占領していたのは1626年から1642年までの16年間で、その後は台南から侵攻してきたオランダ人により使用されました。しかし、そのオランダ人も1662年に鄭成功によって破られ、台湾を去りました。

発掘調査が行われた修道院の模型

修道院の建物は基礎の部分が残っており、どんな形の建築物だったのかをうかがい知ることができます。また、模型にも再現されているように、数体の遺骸も出土しています。

発掘調査が行われた修道院そばに埋葬された人骨の模型

遺骸は手を胸の前で組んでおり、近くで十字架なども出土していることから、この人物が聖職者であったことを暗示しているようです。

各時代を代表する出土品のレプリカ

各時代を代表する出土品が、層状に展示されています。上のほうにあるのが時代も新しい遺物で、日本統治時代のレンガや、オランダ・スペイン時代に取引されていた中国・景徳鎮の染付磁器、さらには先史時代の玉器や石器なども見られ、この土地で暮らしていた人々の文化の多様さを表しています。

子供向けの内容が多かったです

コンテナハウスの後ろの部屋は主に子供向けの触れる展示でした。先史時代の土器や、染付磁器をパズルのように組み立てて修復したり、砂の中から遺物を発掘する体験ができるようになっていました。

『聖堂回想』展示の様子

そのほか、考古学の発掘で使う道具の紹介や、実際の発掘調査中の写真なども展示されていました。


保存された修道院の発掘現場へ

平一路の発掘現場

和一路の展示場を後にし、平一路にある修道院の発掘現場へ向かいます。場所は上に記載した地図を参照してください。

道に発掘現場までの案内が出ていました

普通の駐車場の一部が発掘されて残されており、自由に見学できます。

駐車場の一部が発掘されました

修道院の発掘調査は、今回の大基隆歷史現場再現整合計畫が始まるよりも早く、2011年から始まっていたそうです。

遺跡の歴史的背景を解説する案内板

この修道院は前述の通り1626年に和平島にやってきたスペイン人が建てたものだと考えられています。

修道院の建物の構造が分かるようになっています

石造りの建築の基礎部分が残っており、建物の構造が分かるようになっています。建物の内部の面積は200㎡ほどと見積もられており、オランダ人が北上し、ここでスペインを破った際には400人ものスペイン人捕虜をこの修道院に監禁したという史料もあるそうです。

石やレンガで構築された17世紀の建物

17世紀にスペイン人が使用していたCaravacaという十字架や、金属製のベルトのバックル、景徳鎮製の染付磁器など、大航海時代を反映する遺物が出土しています。

出土遺物の紹介

AR(拡張現実)を用いた専用アプリも開発されていました。「聖堂回想」アプリでは、発掘現場の数か所にあるQRコードを読み込み、実際に人が埋葬されていた穴の上にスマホをかざすと、埋葬された姿勢のままの人骨が画面に浮かび上がる仕組みになっていました。

AR(拡張現実)を用いた専用アプリ

発掘された人骨はすでに研究室かどこかに運ばれているため、現場には埋葬された穴しか残っていません。そんな状況でも見学者はこのアプリを使うことで、どんな姿勢で、どちらの方角を向いて埋葬されていたのかを知ることができます。

埋葬された穴の所に人骨が浮かび上がるようになっていました

以上のように、17世紀のスペイン人が残した修道院の発掘現場は、基隆・和平島の歴史を学べる新しい観光スポットとして整備されています。

文化部が推進する「歴史現場」のプロジェクトは、ほかにも台湾各地で同様にその土地の歴史をその場で学べるような施策を行っているので、事前に調べたり、観光した後に調べてみると、より深く台湾の歴史を知ることができると思います。

解説ボード

終わりに

台湾史を学ぶ中で、実際に現地に行ってその土地の歴史を知るのは楽しいことです。台南の安平にはオランダ人が残したゼーランディア城が、高雄の鳳山には清代の市壁が、台湾各地には早期漢人移民の建てた廟が、そして日本統治時代の近代建築は数多く残っています。しかしスペイン人が残したものはこれまで文献の中にしかありませんでした。そのスペイン人の台湾北部での歴史を目の前に再現したのが、今回のスペイン人の修道院の発掘・保存計画です。大航海時代の台湾北部の様子を知ることができる貴重なスポットです。

余談ですが、今回はスペイン人の建てた修道院ということでスペイン人にフォーカスしていましたが、元々この土地に住んでいたバサイ族もとても興味深いグループです。現在は漢化が進み、独自のアイデンティティは失われてしまったそうですが、大航海時代にバサイ族は台湾北部で外国人との交易を担っていたグループだと考えられており、台湾外部の陶磁器などの商品を陸の交易ルートで宜蘭の方まで運んでいたようです。

詳しくは謝艾倫老師の論文をどうぞ…!
謝艾倫(2012)淇武蘭遺址上文化層的外來陶瓷: 一個歷史考古學的研究。考古人類學刊・第76期






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参考資料

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