断絶された儀式を再び——番仔田シラヤ族の「夜祭」


台南市官田区の復興宮。かつてこの地は「番=原住民族」が住むため「番仔田」と呼ばれ、シラヤ族の四大社の一つ、麻豆の支社として栄えていました。

番仔田では毎年農暦の10月14日夜から未明にかけて「夜祭」が行われます。

夜祭は日本統治時代末期、皇民化運動の頃に断絶を経験しています。戦後しばらくして、独自の文化復興の機運を受け、復活した伝統の儀式なのです。

今回は2022年11月に行われた番仔田シラヤ族の夜祭を見学してきたレポートです。


シラヤ族の「夜祭」へ

番仔田で行われた夜祭

台南市の観光スポットが集まるエリアから電車で約30分。台湾鉄道の隆田駅から徒歩12分の復興宮前の広場で番仔田シラヤ族の夜祭が行われます。

夜祭はシラヤ族にとって最も重要な年中行事の一つで、祖先の霊「Alid 阿立祖」を通して生命の起源である宇宙に感謝をささげる儀式。毎年春と秋に行われ、秋の夜祭は収穫を喜ぶ意味も持つようです。

台南市には各地にシラヤ族の集落がありそれぞれ夜祭が行われますが、番仔田の夜祭は毎年農暦の10月14日の夜から15日未明にかけて行われます。今回私が見学した2022年の夜祭は11月7日の夜から8日の未明にかけて行われました。

会場となる復興宮の前で

2022年11月7日の夜21時頃。会場となる復興宮に到着すると、すでに多くの人が集まり花火が打ち上げられ賑わいを見せていました。

会場入り口には開催を知らせる旗が立つ
円卓には粽や湯圓などの食べ物が並ぶ

会場となった復興宮前の広場にはテントが建てられ、テーブルには食べ物が並べられていました。21時頃には準備はほぼ整えられ、そろそろ儀式が始まるかという時分。

花飾りをつけたシラヤ族の女性
供え物の豚や山羊も台の上に並べられている
花飾りをつけた男性が豚の処理をしている

テントの横では豚が一匹処理されているところでした。頭に花飾りをつけた男性が、熱湯を豚にかけながら黒い毛を剃ろうとしているところです。

祖先の霊を祀る壺などが置かれる「公廨」

祖先の霊を祀るkuwa(公廨)には多くのお供え物が並べられました。

kuwa(公廨)に置かれた壺と檳榔、たばこ
夜祭の際には多くの供物が並べられる
檳榔とサトウキビの葉

夜祭はInibs/Inps(尪姨)と呼ばれる巫女が儀式を司ります。Inibs(尪姨)はAlid(阿立祖=祖先の霊)の言葉を伝える者で、儀式や呪文、動作を通して神と話すことができると言われています。

竹で占いのような行為をしているInibs(尪姨)

番仔田の夜祭の儀式には「作向」「獻豬」「牽曲」「翻豬點收」という4つの項目があります。

儀式の前日の夜にInibs(尪姨)が「作向」を行います。呪文を唱え、酒を吹きかけ霊を召喚します。

捧げ物となる豚の毛を落としている男性

次に行われるのが「獻豬」。豚を屠り祖先に捧げます。私が到着した際には豚の毛を剃っている最中でした。

お供え物の周りで手をつなぎ歌を歌うシラヤ族の女性たち

続いて「牽曲」。頭に花飾りをつけたシラヤ族の女性が、手をつなぎ輪になって反時計回りに回りながら歌います。輪の中央にはサトウキビの葉が入った壺が置かれていました。

中央には壺に入ったサトウキビの葉が置かれている
サトウキビの葉が入った壺には花飾りが巻かれている

最初の「牽曲」が終わるころには豚の毛が剃り終えられ、女性たちが今度は豚の周りに輪を作り始めました。

豚を処理する男性の周りに女性たちが輪を作り始めた
手をつなぎ歌を歌う女性たちの中央で豚の体が開かれていく

今度は豚の周りで「牽曲」が行われます。シラヤ語の歌が響く中で、豚の体が開かれ、内臓が取り出されていきます。

「公廨」の前にバナナの葉が並べ始められた

「牽曲」が行われている一方で、kuwa(公廨)の前ではバナナの葉が並べられ始めました。

バナナの葉の上にkuwa(公廨)に背を向けて豚が置かれた

歌が終わり、豚の内臓が取り出されると、バナナの葉の上に豚の体がkuwa(公廨)に背を向けて横たえられました。

最後に「翻豬點收」が行われます。豚の頭を酒瓶で持ち上げ、先祖に捧げる形式が整えられ、再び女性たちが豚を囲み歌い始めます。その最中にInibs(尪姨)が豚の肝と血を食します。

豚と山羊の顎に酒瓶が添えられ、頭を持ち上げている
豚と山羊の体に白い布がかぶせられた

歌を終えたら、豚の頭がkuwa(公廨)の方を向くように動かされ、最後にもう一度女性たちが手をつなぎ歌う「牽曲」が行われました。

豚の頭がkuwa(公廨)の方に向き替えられた
儀式の最後にInibs(尪姨)が挨拶

これで一通り夜祭の儀式は終了です。最後にInibs(尪姨)があいさつして輪は解散。この時点で23:20頃でした。その後もシラヤ族の皆さんは会場で賑やかに過ごされていました。


断絶された番仔田シラヤ文化の復興

番仔田阿立祖夜祭の服を着たシラヤ族の女性

今回見学した番仔田の夜祭ですが、実は過去に断絶され、復活されたものです。

かつて日本統治時代末期には皇民化運動がすすめられ、台湾原住民族は独自の文化風習が禁止され、シラヤ族の伝統儀式も行うことができなくなりました。

番仔田の夜祭も皇民化運動の際に中断され、戦後しばらくしてようやく復活されたものだそうです。

番仔田の夜祭

しかし儀式のやり方などの知識が集落の住民には残っていなかったため、夜祭の儀式を先立って1999年に復活させていた大内頭社部落から儀式の流れや歌の指導を受け、「開向」や「三向」といった向術の呪文は吉貝耍部落の指導を受けて復活させたのだそうです。

そのため番仔田の夜祭は大内頭社部落と吉貝耍部落の様式を融合させたものだと言えます。


シラヤの文化は漢化し、廟も漢人風に再建された

漢人の廟風に建て替えられた復興宮

シラヤ文化の消失は、日本統治時代よりずっと前から始まっていました。

シラヤ族は17世紀にオランダ人や漢人が台南に上陸する前からこの地に暮らしていた「平埔族」です。17世紀以降は台湾に渡る漢人移民が増え、シラヤ族の集落にも漢人の住民と文化が入り込んできます。こうしてシラヤ族は徐々に漢化していき、独自の文化は薄れていきました。

1970年代当時のkuwa(公廨)

1970年代当時、現在の番仔田夜祭の会場となっているこの場所にはレンガ造りのkuwa(公廨)がありました。

現在の復興宮は1986年に建てられたもの

1986年にはAlid(阿立祖)をより良い環境に移すべく、kuwa(公廨)の再建計画が起こりました。現地の人々の信仰は長く漢人の影響を受けており、この再建の際には漢人の廟と同じ道教様式の建築に建て替えられました。

当初現地の人々はAlid(阿立祖)を主神とし、kuwa(公廨)として登記することを望んでいましたがそれは叶わず、漢人風の名称である「復興宮」となりました

その際Alid(阿立祖)は新しい廟の主神として祀られる太上老君の足元に置かれたようです。

復興宮に祀られる太上老君
復興宮

見た目は漢人風の廟となり、復興宮の正殿には「太上老君」が祀られていますが、豚の頭骨が奉じられているところにシラヤ文化の断片を見ることができます。

豚の頭骨を奉じるシラヤ文化の断片


伝統的なkuwa(公廨)を再建せよというお告げ

シラヤ族の文化が薄れていった清代から日本統治時代。しかし1990年代になると、台湾では自らのアイデンティティーを求める本土化運動が活発化し、漢人風の廟に建て替えられた復興宮にも変化が起こりました。

番仔田大公廨
復興宮と左隣に建つkuwa(公廨)

ある時、祖先の霊Alid(阿立祖)から伝統的なkuwa(公廨)を再建するようお告げがあり、2009年民国95年・2006年という説もあり)にかやぶき屋根と竹製という様式でkuwa「番仔田大公廨」が復興宮の隣に再建されました。

kuwa(公廨)にはAlid(阿立祖)へのお供え物が置かれている

番仔田大公廨の阿立祖

こうして復興宮の敷地内に、漢人の道教風の廟とシラヤ族のkuwa(公廨)が並ぶという独特の景観が誕生しました。


文化の継承と地域創生

番田説書小教室

2020年に訪れた際には、復興宮の右隣の一角に番仔田シラヤ族の文化復興の活動に関するささやかな展示がありましたが、2022年の夜祭で再訪した時には展示がさらにパワーアップしていました。

過去の文化復興活動の展示(2020年)

成功大學建築学科の卒業生である葉家丞さんを中心に、USR(大学の社会的責任)という観念の下、このスペースが「番田説書小教室」として生まれ変わりました。

番仔田の古い写真

シラヤ族独自の十字花紋のモチーフが地面にレンガで描かれるなど、建物のハード面は成功大學建築学科の学生と地元住民の手で整えられ、「番田說書小教室」のソフト面は隆本・隆田からハンドクラフト講師を招き、刺繍や夜祭で付ける花飾りなどの手作り講座が開かれるようになりました。

文化復興活動の成果

2022年11月の夜祭の際にはその成果発表を兼ね、刺繍や花飾りのほか、地域の歴史文化観光マップや、昔の写真の展示が行われていました。

花飾りや刺繍などの作品が展示されていた

今後もこの小教室は地元の古くからの住民と新住民の相互理解と交流を促す場として活用されていくようです。


シラヤ族の文化復興と正名運動

番仔田の夜祭

シラヤ族は歴史文献にもその存在が記されている台南一帯に住む先住の民族ですが、2022年11月現在、台湾の中央政府が認める16の原住民族には数えられておらず、法的には「原住民」の身分を有していません。かつて彼らの文化はほとんどが漢人と同化し、独自の言語も失われていました。

そんな状況の中、1990年代から始まった台湾の本土化運動のあおりを受け、シラヤ族の間にも独自の文化と言語を取り戻そうという正名運動が起こりました。


原住民族の身分を取り戻す

番仔田の夜祭

シラヤ族は唯一台南市には原住民族として認められていますが、法的に原住民族という身分を獲得すべく、長い間ある裁判が起こされていました。

そしてつい先日、2022年10月末にシラヤ族の正名運動が一つの成功を手にしました。

シラヤ族の人々は『原住民身分法』の第2条第2項には「平地原住民」と「山地原住民」の区別しかなく、そこから取りこぼされる人が原住民族の身分を認められないことは違憲である、という裁判を起こしており、2022年10月28日ついにそれが「違憲である」と認められたのです。

これにより、憲法上ではシラヤ族も台湾のオーストロネシア語族系の民族であると認められることになります。現実的には3年以内に『原住民身分法』の当該部分の修正がなされることが決定しました。

長年の正名運動が実った、その年に行われた夜祭を見学できて本当にうれしく思います。


終わりに

バナナの葉や檳榔、米酒が供えられるkuwa(公廨)

台北に暮らしていると、シラヤ族のことを知る機会は多くないように感じます。原住民族関連の博物館へ行っても、そこで紹介されるのは認定されている16の原住民族のことが中心で、シラヤ族の話はあまり出てきません。

そんな事情もあり、正直なところ台南ではこんなにシラヤ族の文化が残っているとは思っていませんでした。とはいえこれはある種、誤解でもありました。シラヤ族の文化は残っているだけではなく、言語や儀式など彼らが努力して復活させたものも多いからです。

今回は、以前訪れたことがあり交通アクセスも良い番仔田の夜祭を選んだのですが、より有名な夜祭が行われるのは他の集落。そちらも機会があればいつか見学したいです。

シラヤ族の四大社:蕭壠社、麻豆社、目加溜灣社、新港社

シラヤ文化を知るスポットといえば、古くから信仰が続く阿立祖を祀るkuwa(公廨)や、シラヤ族についての展示を行う文物館などが台南各地にあります。2020年と今回2022年11月にいくつかのスポットを見て回ったので、そちらに関してもいずれブログにまとめたいです。

また、台北でもケタガラン族の正名運動が盛んに行われています。ケタガラン族はシラヤ族と同様に、過去に文化が漢化した平埔族に属するグループです。彼らが長年努力している独自の文化復興と、法的に原住民族の身分を獲得するまでの戦いにこれからも注目していきたいと思います。


隆本復興宮
  • 住所:台南市官田區中華路二段132巷15巷16號(map)
  • アクセス:台湾鉄道「隆田」駅より徒歩12分



参考サイト

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