1955年、国共内戦の終盤に浙江省の離島で勃発した一江山戦役。これをきっかけに大陳島の住民は台湾へ撤退することになりました。
今回は台湾各地に35ヶ所作られた大陳移民の集落のうち、最も規模の大きい花蓮の大陳新村で干し生姜作りワークショップに参加してきたお話です。
1955年、大陳島の人々が台湾に撤退
1946年に中国で発生した国共内戦で不利となった国民党は1949年に台湾へ撤退しました。しかし離島では戦いが続いていました。1955年に浙江省台州市の一江山島で国民党軍と共産党軍の戦いが勃発し、その後方に位置する大陳列島の住民がアメリカの護衛の下で台湾島の基隆に撤退しました。
基隆から上陸した大陳列島住民は、その後、台湾各地に作られた新村へと移動しました。建設された大陳列島住民の村は全土で35か所に及び、現在も大陳島の文化が継承されています。
今回は台湾にある大陳列島村の中でも最大規模である、花蓮の大陳新村(大陳一村と大陳二村)を訪れました。
花蓮の大陳新村へ
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| 花蓮ののどかな風景 |
花蓮の駅前で自転車を借りて10分程度、七星潭方面へ向かう道路を北上した先に大陳新村はあります。
今回花蓮の大陳新村を訪れた目的は、大陳島の伝統食文化である干し生姜のワークショップに参加するため。たまたまFacebookを見ていたら、この活動が広告で流れてきて興味を惹かれたのです。
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大陳新村
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| 大陳島郷公所 |
ワークショップ開始時刻より早めに到着したので集落を散策します。以前訪れた宜蘭の岳明新村や新北市永和の五和新村は廟こそあるものの、あくまでも人が暮らす集落であり観光客が見学できる類の場所があるわけではありませんでした。
一方で花蓮の大陳新村には2014年に建てられた大陳故事館があり、今回のワークショップを主催する文化団体「小羊社会創新工作室」とそのブランド「集大陳」があり、大陳人の海神「阮弼真君」を祀る阮弼真君廟があるなど、比較的観光客にも開放されている大陳列島民の集落です。
2014年に建てられた大陳故事館では、大陳列島の人々の文化や、1955年の台湾撤退、台湾に到着してから各地の新村へ移住してからの物語を知ることができます。
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| 大陳故事館 |
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| 大陳故事館 |
ここ花蓮の大陳新村に暮らす大陳住民、それぞれがここに行き着いた過程は様々で、1955年の撤退の際に家族数代で一緒に基隆から上陸した人もいれば、高雄から上陸し、花蓮へは嫁いで来たという大陳住民もいらっしゃるようです。
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| 大陳故事館 |
特に女性の声が多く掲載されており、彼女らが家庭内外で文化の継承を担ってきたことがわかります。主に大陳列島の食の味わいや記憶が語られます。
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| 大陳故事館 |
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| 大陳故事館 |
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| 大陳故事館 |
故事館へ入ると、係の方が電気をつけてくださいました。
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| 大陳故事館 |
大陳島は上大陳と下大陳というふたつの島から成り、その周辺にもいくつか小島があります。話されている言葉は台州語です。
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| 大陳故事館で配布されている大陳尋趣地図 |
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大陳故事館の展示
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| 撤退の日(大陳故事館) |
1955年2月8日の大陳島からの撤退の過程が当時の写真と共に語られています。この際、28000人が大陳列島から撤退しました。この人数には住民が10000人、他は派遣されていた国民党軍兵士などが含まれています。
当時は一時的な撤退だと知らされていたため、みな大した荷物も持たずに船に乗り込んだそうです。
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| 大陳故事館 |
1955年から57年にかけて、台北、桃園、宜蘭、花蓮、台東、高雄、屏東に計35ヶ所の大陳人の新村が作られました。「大陳義胞」とも呼ばれた大陳の人々は台湾各地に作られた新村に移動していきました。
もともと島で漁業を営む者が多かった大陳人ですが、大陳島の海と台湾の海では採れる魚や適した漁法も異なり、苦労の連続だったと言います。
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| 台湾各地に35の大陳集落が作られた(大陳故事館) |
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| 台湾各地に35の大陳集落が作られた(大陳故事館) |
解説板に各地の大陳集落の住民の原籍地や、現地の代表的な廟と祀られている神様、どのような就業支援を受けて暮らしていたかが表にまとめられていました。
この展示には書かれていなかったと思いますが、ネットで情報を探すと、台湾へ撤退した後に、より良い生活を求めてアメリカへ渡った大陳移民もかなりの数いるらしく、現地に大陳会館があるという話がありました。
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| 大陳島の食文化(大陳故事館) |
この集落に足を踏み入れてから何度も目にした「大陳年糕」(お餅)。故事館でも大陳島民の食文化に関する詳しい説明がありました。
大陳島は浙江省に位置するため、台湾とは異なる食文化を持っています。農業に適した土地の少ない島であるため、料理は海から採れるものが中心のようです。魚は保存のために干物にするのが伝統で、大陳島ではあらゆる場所で魚を干す光景が見られたと言います。
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| 大陳島の食文化(大陳故事館) |
1955年に撤退してきた第一世代が多かった頃には、花蓮の大陳新村でも街灯に魚を干す光景がよく見られたそうです。ただ、捕れる魚が違うため、わざわざ基隆の海鮮市場まで目当ての魚を買いに行く住民もいたのだそう。
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大陳人の燒庫屋(大陳故事館)
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上の画像の左の華やかな家は大陳人の「焼庫屋」と呼ばれる習俗で、彼らは生前のうちに告別式を済ませ、このような紙でできた家を用意します。そして逝去された際にこの家を燃やすそうです。
紙でできた家やお金を亡くなった人のために燃やす習俗は台湾をはじめとする華人圏でよく耳にする習俗ですが、大陳人の紙の家はサイズが大きい上に、生前にあらかじめ用意しておくというのは独特の文化のように思います。
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| 大陳一村 |
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| 大陳故事館 |
集大陳の生姜ワークショップに参加する
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| 集大陳 |
阮弼真君廟と隣り合う小さな部屋が、この日参加するワークショップを主催する「集大陳」の拠点です。
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| 集大陳 |
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| 集大陳の看板ねこちゃん(おさわりはNG)! |
看板ねこちゃんがお出迎え!
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集大陳
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集大陳は大陳移民(大陳義胞)第四世代の趙孝嚴さんが、故郷である大陳新村にUターンし2021年に立ち上げたブランドで、現地でガイドツアーやワークショップ、文創商品などの開発を行っています。
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| 集大陳のオリジナル商品 |
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| 集大陳のオリジナル商品 |
大陳列島の生姜を使ったお茶(薑茶)や、年糕、パイナップル風味を追加した老酒などのオリジナル商品を購入することができます。
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| 大陳人の集落に関する記事が載った刊行物 |
今回作る干し生姜(炒老薑)は大陳島の重要な食文化のひとつ。冬備えの一環として、夏のうちから収穫した生姜を加工して作る保存食です。干し生姜は薑茶や薑茶麵の材料として、そしてその他の料理にも頻繁に登場する、大陳料理に欠かせない食材だそうです。
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大陳人の干し生姜(老薑)
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干し生姜作りワークショップ
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今回干し生姜作りを教えてくださったインストラクターはなんと宜蘭のタイヤル族の方でした。地方創生に興味を持ち、集大陳に参加しているようです。
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| 干し生姜作りワークショップ |
干し生姜の作り方はシンプルでした。厚さ2mm程度に輪切りした生姜をフライパンで炒り、生姜が加熱されて少し透明感が出てきたら老酒を加え、水分が飛ぶまで炒めていきます。

老酒をフライパンに入れると、紹興酒に似た甘い香りを放ち、ねこちゃんがその香りに惹かれたのか入口に顔を見せました。
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| 干し生姜作りワークショップ |
炒り終えた生姜を冷ましたら、大きめの裁縫針を使ってタコ糸を生姜に通していき、糸の端を結んだら天日に干していくだけ。乾燥は3日ほどで完成するようです。
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| 干し生姜作りワークショップ |
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| 干し生姜作りワークショップ |
工作室のドアを開けると阮弼真君廟に繋がっており、広場に生姜を干す台が用意されていました。
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| 干し生姜作りワークショップ |
各々生姜を吊るし終えたら、集大陳のインストラクターが年糕の調理を始めました。
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大陳年糕
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大陳年糕を使い、黑糖炒年糕というスイーツを作ってくださるようです。
あらかじめ水で戻しておいた年糕を短冊形に切ります。少量の油を敷いたフライパンに新鮮な生姜を入れて火を通します。新生姜が炒まったら老薑(干し生姜)をフライパンに投入し引き続き炒めていきます。
頃合いを見て、粉末状の黒糖と水をフライパンに入れます。黒糖スープを沸騰させ、軽く煮詰めます。
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| 黑糖炒年糕 |
年糕を入れたら火を弱め、年糕が柔らかくなり水分が飛ぶまで煮込んだら完成です。
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| ねこちゃん!!! |
黒糖の香りに釣られたのか、ねこちゃんが窓から覗いていました。(かわいいですね)
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| 黑糖炒年糕 |
甘くてモチモチの美味しいスイーツ黑糖炒年糕、かつては節句などの限られた機会に食べられた料理でしたが、今では食べたい時に作って食べるそうです。
大陳列島は農業に適した平地が少なく、米はほとんど他所から買ってくるものでした。そのため主食は炊いた米ではなく、加工した年糕がよく食べられてきたと教えていただきました。甘くしたおやつとしてだけでなく、野菜などと炒めた料理も、大陳人の食卓によく上がるようです。
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集大陳の掲示板
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集大陳では現在台湾中の大陳新村を調査した書籍「大陳七十週年刊物」の出版準備が行われており、2026年の夏頃に発売予定とのことでした。
阮弼真君廟
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| 阮弼真君廟 |
阮弼真君は大陳人が信仰する海の神様です。
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| 「大陳一村」の碑と、背後に描かれた大陳島の阮弼真君廟 |
1955年の撤退時、大陳の人々は神様を携えて行くことはできませんでした。また、撤退当時はすぐに大陳島に帰れると彼らは信じていました。
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大陳島住民の移住物語
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そのため移住初期には花蓮瑞穂の和尚さんが持ってきた観音様を拝んでおり、作られた廟も当初は観音寺でした。
1972年、いよいよ大陳島へ帰ることが叶わないと悟った住民は阮弼真君像を納め、廟名を正式に阮弼真君廟としました。
1980年に地母娘娘像も祀られるようになり、82年からは廟の改築工事が行われました。
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| 阮弼真君廟 |
農暦の10月13日は阮弼真君の生誕祭で、毎年お祭りと大陳文化のイベントが行われるそうです。
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| 阮弼真君 |
廟の向かいは蒋介石を紀念した「感恩堂」が作られています。(左右の扉の先はワークショップをした集大陳のオフィス)
この戲台では紹興劇が演じられていたそうです。阮弼真君信仰と蒋介石に対する崇拝、故郷の劇を演じる舞台と、大陳人の精神文化を伝える空間でした。
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蒋介石を記念する空間になっている戲台
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| 阮弼真君 |
終わりに
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| 大陳一村 |
国共内戦により様々な省から多くの軍属や難民が1949年に台湾へ撤退し、各地に眷村が作られました。
しかし49年の撤退時に中国大陸の辺境地域に残された部隊は戦闘を継続していました。
これまで当ブログでは雲南省からミャンマー、そしてタイ北部へ流れ着いた泰緬孤軍が1953年と61年に台湾へ撤退して作られた関連集落を何度か取り上げてきましたが、彼らの他に大陳列島の人々の撤退があることを最近になって知りました。
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生姜(老薑)
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台湾の多くの眷村では様々な省から来た人が一つの集落に集まり、独自の眷村文化を育んでいったのに対し、1955年、最後に撤退した大陳列島の人々は、大陳人だけの集落に暮らしたため、台湾に35ある大陳集落では伝統の文化が保たれてきました。
しかし大陳集落の人々が受けられた経済支援などの不足から、初期の生活は厳しく、移住先からさらに別の土地へ移住する人も少なくなかったようです。
特にアメリカに渡り、中には不法就労をしながらでも生き抜いてきた大陳人もいると知り、彼らディアスポラの状況について、もっと知りたくなりました。
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| 大陳一村 |
1955年の台湾撤退から70年が経ち、第一世代もだんだん少なくなる中、第四世代の若者が花蓮の大陳新村で地方創生に奮闘しています。今回は干し生姜作りのワークショップに参加して、現地の人と知り合うことができて大変有意義な体験ができました。彼らがもうすぐ出版するという大陳70周年の書籍の発売が楽しみです。
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| 大陳一村 |
参考記事
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