異域故事館で学ぶ、雲南から台湾へたどり着いた泰緬孤軍の物語


台北から電車とバスを乗り継いで二時間弱、桃園市龍岡にある忠貞新村は、台湾に数ある眷村の中でも「雲南」文化を全面に押し出した特色あるエリアです。

近年、エリアの一部が文化園区としてリノベーションされ、2022年3月19日にはこの地域の人々の経歴を伝える「異域故事館」がオープンしました。


今回の記事では2022年4月に実際に異域故事館を訪れた時のレポートをお届けします。

雲南から「異域」へ

異域故事館

第二次世界大戦後、1949年に中国大陸で国民党と共産党による国共内戦が起こり、劣勢に陥った国民党は軍とその家族を率いて台湾に撤退しました。その軍人のために台湾各地に作られた居住区は「眷村(juàn cūn / けんそん)」と呼ばれています。

しかし1949年には台湾撤退が叶わず、中国西南部の雲南省から西に国境を越え、ミャンマーそしてタイ北部へ逃れ、取り残されてしまった部隊がいました。それが今回紹介する「異域故事館」の主役となる泰緬孤軍(異域孤軍)です。

「異域」に残された孤軍の足跡をたどる

異域故事館入口

2022年3月19日に桃園市の龍岡にオープンした異域故事館。

現在故事館の参観は予約制(無料)をとっており、故事館の方のガイドツアーに参加する形となります。私はサイトから予約して、龍岡米干節が開催されてエリアがにぎわう4月17日に参観してきました。

龍岡米干節の際の入館ルール

ガイドツアーは約50分で、一日に4回行われています。定員に空きがあれば当日でも申し込めるようでした。ガイドは中国語です。

異域故事館公式サイトはこちら

孤軍のイメージ映像と創設者の言葉

故事館の館内は「亂、靜、迷、回、容」の5つの展示室に分かれています。文献史料や写真、音声、モノを通して、国民党軍の一部の部隊が雲南からミャンマーやタイ北部に逃れて孤軍となり、後に台湾に落ち着くまでの経緯が語られます。


国民党と共産党の戦いが勃発

ガイドさんが「儘量拍(できるだけ写真を撮って)」と声をかけてくださいました

最初の展示室は「亂」。第二次世界大戦後の中国で国共内戦が勃発し、激しい戦闘が繰り広げられた頃のストーリーが語られます。当時使われていた武器や軍服を始め、当時の出版物や写真が豊富に展示されていました。

ガイドさんの解説に耳を傾ける参加者

私は国共内戦と孤軍については「なんとなく知っている」状態で参加しましたが、ここで初めて知る内容が多かったです。

各時期の軍隊の装備

中国西南部・雲南における国民党軍の部隊は以下の4つの時期に分けることができます。
  1. 1949~50年の第二次国共内戦西南戦役期
  2. 1951~54年の雲南反共救國軍期
  3. 1954~61年の雲南人民反共志願軍期
  4. 1961~81年の泰北孤軍期
この4つの時期の間、戦場は雲南からミャンマー、タイへと移っていきます。1953年と1961年には孤軍の台湾撤退が行われ、撤退してきた孤軍は台湾の桃園や南投の眷村に落ち着きました。

1949~50年、第二次国共内戦時の国民党軍の軍服

1951~54年の雲南反共救國軍期の装備(左:共産党 / 右:国民党)

1961~81年の泰北孤軍期

1953年、61年の二回にわたる台湾への撤退を終えた後、第3軍と第5軍であった李文煥将軍と段希文将軍の部隊はタイに残留し、泰北孤軍を編成しました。この頃には中華民国への忠誠ではなく、タイに吸収された形になっており、タイの共産党軍を相手取っての戦闘を行いました。

この頃の装備はベトナム戦争(1955~75)でアメリカ兵が使用していた物を使っていたようです。

足元には銃弾が埋め込まれていました

泰緬孤軍を率い、ミャンマーでの反共作戦を行った李彌将軍

ガイドさんの解説を聞く傍ら、ある程度自由に歩き回って展示を見ることもできました。

タッチ操作可能なこのディスプレイでは、各時期の写真・重要人物・出来事のデータなどを見られるようになっていました。

ガイドツアーに参加していると、こういう展示をゆっくり操作して読む時間が足りなかったのが少し残念でした。

ミャンマーの近況を伝える報告書

当時発行された報告書など、展示されている書籍は忠貞新村に移住したかつての孤軍の人たちが寄贈したものです。

雲南省反共抗俄大學の学生手帳

1950年にミャンマー東部の猛撒(Mong Hsat)に設立された雲南省反共抗俄大學では、軍事訓練が行われました。一期3か月で、全五期に渡り訓練が行われ、それぞれ2000人余りが参加していたそうです。


創設者・王根深と光武部隊

光武部隊

異域故事館の創設者・王根深さんは1950年にミャンマー北部ミッチーナの裕福な商人の家庭に生まれた華人でした。

15歳の時にミャンマーの共産党と戦う情報局の一員となり、7年ほど台湾に暮らしましたが、再びゴールデントライアングルに戻り、光武部隊に所属しました。

ミャンマーとの境界付近での活動をとらえた写真

光武部隊は1965年に雲南とミャンマーの境界で結成され、中国への反撃の機会を伺い情報戦などを繰り広げた最後の反共部隊だと言われています。

最終的には蒋介石の死去やタイとの国交断絶など情勢の影響のもと、1975年に現地で解散となりました。

光武部隊時期の通信機など

この時期の戦闘は情報戦・ゲリラ戦の色を帯びていたようです。通信機や日用品に偽装した武器などが展示されていました。

歯磨き粉に偽装した毒針

特にガイドの方が力を入れて解説してくださったのがこの毒針を仕込んだ歯磨き粉。敵方の重要人物の暗殺などに使われるものだそうです。

暗殺とは、などの解説

壺に仕込んだ爆弾やスパイ活動に必要なカメラなど

馬幫

「亂」展示室の最後には馬幫の解説がありました。

馬幫とは馬に乗って山道を移動する行商のこと。茶葉などの商品を馬の背に載せて、雲南やミャンマー・タイ・ラオス境界のゴールデントライアングル(金三角)山域を行き来していました。映画「異域」でも馬幫と孤軍の協力関係が描写されています。


次の「静」の展示室は写真は撮っていないのですが、オブジェと王根深さんの音声を録音したオーラルヒストリーを聴くことのできる装置がありました。(ガイドツアー参加のため、やはりここでもじっくり聞くことは叶わず…)


罌粟の花とゴールデントライアングル

罌粟の花が咲き乱れるゴールデントライアングルのイメージ

ミャンマー・タイ・ラオス国境地帯はゴールデントライアングル(金三角)と呼ばれており、かつてアヘンの生産とは切っても切れない関係にありました。そしてまた、様々な少数民族の居住地でもあります。

三つ目の展示室「迷」のテーマはゴールデントライアングルの少数民族と罌粟(けし)の花。雲南から国民党の孤軍がやってきて、異なる文化を持つ少数民族と邂逅します。

雲南やゴールデントライアングル一帯に暮らす様々な少数民族の服装

右はリス族の服装です。雲南を始め、ゴールデントライアングル一帯では現代の国境線がひかれる前から人々の移動があったため、同じルーツを持つ民族が別々の国の領域に暮らしています。

図の黄色い三角形が金三角と呼ばれるエリア

ゴールデントライアングルにアヘンの原料となる罌粟の花がもたらされたのは、インドやミャンマーを植民地とした大英帝国がやってきた19世紀のこと。

孤軍たちの生活を支えた罌粟の花とアヘン

大英帝国はゴールデントライアングルで大量に生産されたアヘンを中国で売りました。フランスも植民地であるベトナムとラオスで現地の少数民族を使いアヘンの収穫・練成・販売を行わせていました。

当時アヘン使用は東南アジアに蔓延したばかりか、ベトナム戦争を戦うアメリカ兵の間にも広がりました。

アヘン吸引用の美しいパイプ

違法な毒物であると知りながらも、孤軍の人々はアヘン生産で生活の糧を得ていました。馬幫が荷物を運ぶ際の用心棒なども請け負いながら、ゴールデントライアングルでの暮らしが続きました。

細かい装飾が美しいアヘン吸引用のパイプ

それぞれの民族の生活領域の分布

ゴールデントライアングルでの暮らしの中で、現地の少数民族の女性と結婚する軍人も少なからず存在しました。

故事館の創設者・王根深さんもリス族の阿美さんと結婚し、台湾で阿美米干を経営しています。

少数民族の帽子

遠く離れた台湾に雲南の少数民族の方が暮らしているというのがなんとも不思議な感じがしますが、歴史を知るとなるほど、と思います。

毎年行われる龍岡米干節などのイベントでは、雲南やミャンマー・タイ一帯の少数民族の衣装を着た方々が踊りを披露しています。

過去記事:


異域から台湾へ

孤軍の方々が台湾へ”帰国”するまでの物語

四つ目の展示室「回」は孤軍が台湾に撤退した当時の様子や、タイ北部に残った人々の状況を写真で振り返る回廊になっていました。

1961年、第二次撤退時の様子。チェンマイにて

雲南からミャンマー・タイ北部に逃れた国民党の泰緬孤軍は、1953年と61年に台湾へ撤退しました。

タイの共産党軍と戦った第3軍と第5軍の行進

二度の台湾への撤退を終えた後、一部の部隊はタイ北部に残留しタイ国軍の指揮下に入り、タイの共産党軍と戦いました。

タイ共産党を打つ作戦に呼ばれた国民党の孤軍

タイ共産党軍との戦いで活躍を認められた国民党軍

ミャンマーでは各民族が軍を持ち活動している。コーカン地方の羅星漢さん

かつて光武部隊に所属していた周和風さん。現在は茶業を営む

タイ北部に定住した孤軍の一行は、現在では武装解除し、茶葉栽培などをして暮らしています。

タイに定住した国民党の孤軍

ここに展示されている写真に写っているのは桃園の龍岡に住む方々の家族や親戚、かつて同じ部隊で戦った仲間たちです。この故事館の展示を通して、「自分たちは何者なのか」「どんな日々を送って来たのか」ということを参観者に語りかけてくれるようでした。


台湾とタイ、それぞれの地に根を下ろす

それぞれの場所での「落地成家」

異域故事館最後の展示室は「容」。新しい土地への受容のストーリーが語られます。

台湾各地にある異域孤軍集落の分布図

ミャンマー・タイ北部から台湾へ渡った孤軍のグループは、桃園の龍岡・南投の清境農場・屏東の里港などに移り住みました。

二度の撤退で台湾に渡った孤軍がそれぞれどの地域に定住したかをまとめた図

撤退してきた孤軍のグループの定住先が分かりやすく図にまとめてありました。実際にGoogleマップでこれらの地域を見てみると、雲南料理や雲南系タイ料理のお店が見つかります。

当時の眷村の暮らしを再現

「容」展示室には眷村が作られた1950~60年代の家庭の様子を再現したコーナーがありました。やはり軍人っぽさと、国民党っぽさが随所に散りばめられたインテリアです。

故事館のある忠貞新村が現在のような観光地になるまで

1953年にできた忠貞新村ですが、2005年から古い建物が撤去され、現在では新しい高層ビルが立ち並ぶエリアに変貌を遂げました。その後「魅力金三角」という観光開発が始まり、2010年からは龍岡米干節などのイベントも開催されるようになりました。

メ―サロン(美斯樂)に残る国民党の村

タイ在住のYouTuber、Mark Wiens

タイ北部に残った孤軍のグループは、華人の文化を残しながらタイに根付いて暮らしています。

私が初めてタイ北部の国民党軍の村のことを知ったのは、10年以上前に読んだ下川裕治さんの旅行記がきっかけでした。当時は台湾史についても無知だったため、その一部が台湾に根付いているとは考えもしませんでした。

タイ北部に残る国民党軍の村マップ

タイ北部の国民党軍の村については、多くのバックパッカーの方がブログや動画を残しているように、タイ好きの間では知られたスポットになっています。

特にメ―サロンやメーホンソーンが有名で、メ―サロンの丘の上には第5軍を率いた段希文の墓があるそうです。

タイ北部と台湾で続く交流

孤軍の人々がタイでの暮らしを始めた当時は罌粟栽培を続けて暮らしていました。タイ政府としては薬物の生産は止めさせたい。そのため新しい産業を作る必要がありました。

そこで台湾が茶葉の生産技術を教えるという形で協力をすることになり、メ―サロンなどはお茶の産地として発展しました。

台湾で学生生活を送っていると、大学で「泰北志工服務」などのボランティアサークルが参加者や援助を募る光景を目にすることがあります。ボランティアサークルでは中国語教育などの協力も行っているようです。

台湾とタイ北部の孤軍の人たちの交流は今でも続いており、孤軍の子孫が華僑学生として台湾に留学する例も少なくありません。

台湾でタイ料理食堂を経営する孤軍の子孫の例


お土産コーナー

故事館の最後にはお土産コーナーがありました。銃弾が刺さったデザインのグラスや、罌粟の花がプリントされたカップ、名物の米干を揚げたスナックなどが販売されています。


入口と出口は別の場所にありました

故事館の出口は、この写真で言うと左側にあります。入口で荷物を預けた場合は忘れずに取りに戻りましょう。


桃園の新たな観光スポット忠貞新村文化園区

忠貞新村文化園区入り口のウォールペイント

最後に異域故事館と、故事館のある忠貞新村文化園区についてまとめます。

忠貞新村がある龍岡エリアでは、2010年から毎年「龍岡米干節」というイベントを開催し、雲南文化のアピールをしています。

過去記事:

そのイベントの際にはここに暮らす人々のルーツである「泰緬孤軍(異域孤軍)」についての展示が行われるのが定番になっていましたが、これまで台湾には泰緬孤軍について常設展示を行う施設はありませんでした。

異域故事館

2022年3月19日、故事館設立のために長年尽力されてきた王根深さんの努力が実を結び、忠貞新村文化園区と、異域故事館がオープンしました。

異域故事館の建物は、もともと眷村内の幼稚園だった建物を王根深さんが買い取り改築を進めたそうです。

忠貞新村文化園区の教会をリノベーションしたレストラン

文化園区内には教会をリノベーションしてできたレストランや、雲南の少数民族の衣装を体験できるお店などがあり、全体的にSNSで映えることを意識したフォトジェニックな空間になっています。(デザインは王根深さんの娘さんが手掛けているそうで、まさに華人による一族ビジネスといった感じです)

雲南の服装を体験できるお店の前にはトゥクトゥクが

土日には雲南・タイ料理の屋台が並び、一段とにぎやかになります。

偶然出会えたねこちゃん

夜にはライトアップされchillな空間に




終わりに


光武部隊の情報員としてゴールデントライアングルで死線を潜り抜けてきた王根深さんが伝えたかった孤軍の物語。多様な人々が暮らす台湾社会では、それぞれに異なるバックグラウンドや文化、歴史があることを改めて考えさせてくれる施設でした。

2022年5月現在、事前予約制のガイドツアー参加での参観となっているため、好きなだけ時間をかけて参観できない点だけがやや残念です。ガイドさんのお話自体はとても貴重で聞く価値があります!

桃園に寄る際には、忠貞新村文化園区と異域故事館をぜひ訪れてみてください。

異域故事館基本情報

異域故事館の看板


*参観は予約制です。上記サイトより予約できます(無料)

  • アクセス方法:まずは台鉄やバスで中壢駅へ。中壢からバス112北、もしくは112南に乗車し「忠貞」で下車後、徒歩7分。バスだと時間がかかるので、中壢駅後站からシェア自転車Youbikeに乗るのもおすすめ。


参考記事:



Twitter「#今日の忠貞市場」でツイートしています。


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