中壢忠貞市場と龍岡モスク:泰緬孤軍と台湾に渡った雲南のムスリムたち | Zhongzhen Market & Longgang Mosque


台北市の台湾大学周辺には「雲泰料理」と書かれた食堂が数多くあります。大学で台湾と東南アジアの美術史の授業を履修した際に、”雲泰”という単語には、雲南省出身の人々がミャンマーやタイ北部に移り住み、中国の国共内戦の後に台湾へ移住したという歴史的背景があることを知りました。


今回フォーカスするのは台湾北部・桃園市の中壢にある龍岡清真寺と忠貞市場。新北市のミャンマー街の形成と少し似ていて、1954年に台湾へ渡ってきた人々によって形成されたコミュニティーです。


泰緬孤軍の眷村としての忠貞新村


1946年から50年にかけて中国国内で勃発した第二次国共内戦。共産党軍と国民党軍の争いは、次第に国民党軍に不利な形勢となっていきました。この内戦により国民党は台湾へと撤退します。この時に台湾各地には彼ら軍人が住むための眷村(国民党軍のための集落)が作られました。

国境内戦において、李彌将軍率いる国民党の部隊は雲南とミャンマーの国境付近への撤退を余儀なくされました。さらにミャンマーからも漂流を続け、ついにはタイ北部へ流れ着いた人々もいます。こうして異郷に残された彼らは『泰緬孤軍』と呼ばれました。

1953年になると、国連の決議により泰緬孤軍の台湾へ”帰国”の準備が始まりました。翌年には台湾桃園の中壢周辺に眷村が作られました。これが龍岡新村や忠貞新村です。

今日の忠貞新村は、当時の簡易な住居はすでに取り壊され、新しい高層マンションに建て替えられています。しかし雲南からミャンマー、タイを漂流し、多様な文化的背景を持つ泰緬孤軍による食堂やお店は健在です。忠貞市場やその一帯には数多くの雲南料理屋が並んでいます。

桃園の政府の働きもあり、現在では『魅力金三角』として、雲南の文化を感じられる観光スポットとして発展しています。名物の米干と呼ばれる米でできた麺料理を始め、様々な雲南料理を楽しめるということで、休日には多くの台湾人観光客で賑わいます。

台湾に渡った雲南のムスリムたち

クルアーンを写す清真園の馬老闆

前述の通り、忠貞市場には数多くの雲南出身者が暮らしていますが、中には雲南出身のムスリムの存在もひとつの特徴であると言えます。

元々雲南には回族(華人のムスリム)が多く、19世紀の雲南大理にはムスリムの杜文秀政権(1856〜1873年)が存在しました。1873年にこの政権は清朝によって崩壊させられ、多くの雲南ムスリム難民が他省やタイ、ミャンマーなどへ逃れたという歴史があります。余談ですが、こうしてミャンマーに暮らす雲南出身ムスリムには『パンデー』という呼び名があります。

今の忠貞市場周辺の食堂を眺めていると、いくつか清真(ハラール)のマークが掲げられたお店を見つけることができます。泰緬孤軍として国民党軍に従軍していた兵隊の中にも雲南ムスリムがいたのでしょう。


追記:忠貞市場にパンデー(ミャンマーに居住していた雲南ムスリム)だと名乗る方に会うことができました。(2020年1月投稿)
▶︎中壢忠貞市場で台湾に暮らすパンデーに出会った | Panthay in Taiwan


緑色のタイルが印象的なモスク『龍岡清真寺』



雲南出身者にはムスリムも少なくなかったことから、忠貞市場の近くには龍岡清真寺というモスクが建てられています。

台湾で最も古いモスクは、現在は台北の大安森林公園向かいにある台北グランドモスク(台北清真寺 1948~)ですが、ムスリム人口の増加に伴い、各地にモスクの必要性が増してきます。

忠貞市場の近くにある龍岡清真寺(龍岡モスク)は1964年に創建、1989年に修復工事を経ています。


通りからひっそりと顔をのぞかせる門をくぐり歩いて行くとモスクの正門が見えてきます。



龍岡清真寺は緑色のタイルで全体を装飾された建築です。上部にはドームを頂き、正門には花びら型のアーチがかかり、左右対称にポインテッドアーチの窓が並んでいます。

台湾ではムスリムはマイノリティであり、イスラーム建築の伝統はありません。この龍岡清真寺の設計はイスラーム建築の様々な要素を取り入れているデザインのように感じます。


モスクの向かいはテーブルが並ぶスペース。


モスクを正面に、左手にある別棟にはキッチンや食事のためと思われる部屋がありました。


モスク正面の玄関とは別に、右側には女性用祈祷室の入り口があります。


忠貞市場や龍岡清真寺のある中壢は、近年インドネシアなどからの外勞(外国人労働者)が特に多く暮らす地域です。私が訪れたこの日も、龍岡清真寺でインドネシア出身らしき男女の姿を見かけました。

2019年10月に再訪した際には、タイ北部のメーサーイ出身と言う雲南ムスリムの男性にも会うことができました。忠貞新村・龍岡新村ができたころから、この一帯には多くの雲南省に祖先を持つムスリムが居住しているようです。彼らの多くはタイ北部や、ミャンマーなどと接するゴールデントライアングル(金三角)周辺の出身のようです。

参考ページ
▶︎龍岡清真寺:桃園觀光導覽網


雲南や東南アジアの美食と雑貨が並ぶ『忠貞市場』


忠貞市場は雲南出身の華人や少数民族、そして雲南ムスリムなどが商売を営むマーケットです。市場周辺には雲南料理屋が立ち並んでおり、特に米干という米でできた麺料理が名物です。ほかにも台北市内では見かけないような料理やお菓子、そしてハラール料理やインドネシア、ベトナム、タイなどの東南アジア料理もありました。


屋根付きの市場は通路が長く伸び、野菜や乾物、日用品などが売られています。場所によっては身動きが難しいほどのにぎわいでした。



雲南らしい刺繍が入った小物を売るお店を見つけました。


色合いと細やかな刺繍が気に入ったこの長財布はなんと200元という安さでした。


ムスリムの雑貨店。東南アジアの色んな商品が並んでいます。店主はオレンジ色のあごひげを蓄えた南アジア系の風貌。


ハラール食堂『清真園 雲南回民異國小吃』



忠貞市場への訪問計画を立て始めた際、グーグルマップで調べていたら目に留まったのが「清真園 雲南回民異國小吃」(map) という食堂でした。

清真の店名の通りハラール料理を提供する回族のお店で、ミャンマー街でも見かけるようなカレーや烤餅、ミルクティーのほか、具材を入れてラップする卷餅がメニューに並んでいました。 




もちろん名物の米干もあります。



豆泥烤餅と熱奶茶を注文。野菜たっぷりで美味しかったです。

清真園を再訪した際の記事はこちら
▶︎中壢忠貞市場で台湾に暮らすパンデーに出会った | Panthay in Taiwan


終わりに

忠貞市場は、台湾では珍しい雲南色の濃いエリアです。その形成の歴史を調べてみると、1950年代の国共内戦と、それに伴う泰緬孤軍の存在が浮かび上がってきます。ミャンマーやタイという異郷に取り残された孤軍は、雲南だけでなく様々な文化を受容しました。

今日では雲南の文化を体験できるスポットとして、休日には多くの観光客で賑わいます。食文化だけでなく、毎年4月には水掛け祭も行われます。

忠貞市場は台湾近現代史の新たな一面を感じられるおすすめスポットです。興味のある方はぜひ一度訪れてみてください。


(追記)2022年3月に異域故事館がオープンしました

2022年3月オープンの異域故事館

龍岡に暮らす人々「泰緬孤軍」の故事館が2022年3月にオープンしました。一帯は文化園区としてリノベーションされ、龍岡の新しい観光スポットになっています。

2022年4月に実際に参観した時の記事はこちら


忠貞市場&龍岡清真寺への行き方

台北から行く場合は、まずは台湾鉄道か客運(長距離バス)で中壢へ行きます。台北車站から國光客運が中壢行きのバス1818を運行しています。台北からは他にも士林、松山空港、市政府バスターミナルからも中壢行きがあるようです。

台北駅から中壢へ

國光客運(長距離バス)1818

  • 乗り場:市民大道側の北一門 (map
  • 運行間隔:10〜20分に一本
  • 乗車時間:約1時間
  • 運賃:大人81元(悠遊卡で支払い可能)

台湾鉄道
  • 時刻表
  • 乗車時間:約40分〜1時間30分(車種によって異なる)
  • 運賃:57元〜89元(車種によって異なる)


中壢から忠貞市場へ

台北から國光客運に乗った場合、桃園客運總站 (map) に到着します。台湾鉄道の中壢駅へは徒歩で3分ほどの距離です。

路線バス
中壢駅の中壢客運のバスターミナルから「バス112北(もしくは南)」に乗車し、忠貞で下車。乗車時間は43分。(とGoogleマップでは表示されましたが、実際にはそんなに時間はかからないと思います)

YouBike(公共シェアバイク)
中壢駅前と忠貞市場にYouBikeのターミナルがあるので、時間とお金を節約したい(台湾での自転車の運転に慣れている)人にはおすすめの手段です。20〜30分程度で到着します。

タクシー
中壢駅前からは一律200元だと言われました。







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