台湾南部にひっそりと根付く雲南の村、里港へ


台湾南部の高雄と屏東の境界にある里港は、国共内戦の際に雲南からミャンマー・タイ北部へと逃れた泰緬孤軍(異域孤軍)とその子孫たちが暮らす集落です。

孤軍の集まる眷村といえば桃園市の龍岡が有名ですが、こちらにも1961年に台湾へ撤退してきたグループの子孫が根を張り暮らしており、雲南料理のお店も点在しています。

涼拌米線と涼拌木瓜

今回は2023年夏に実際に里港を訪れた際のレポートです。



国共内戦で国民党軍として戦った軍人の子孫が暮らす村

桃園にある異域故事館

1949年に中国で起こった国共内戦で敗戦した国民党は台湾に撤退してきました。その軍人と関係者が移住した眷村は台湾の各地にあります。

しかし雲南省からミャンマーへと後退した部隊は現地でゲリラ戦を続けていました。その後、国連の決定により、この部隊6750名が1954年に桃園市の龍岡に移されることになりました。

こうして龍岡に作られた眷村は、雲南の特色を持つ地域として近年は観光スポットとしても知られるようになっています。

ゴールデントライアングルの地図(異域故事館展示)


撤退後も残った部隊(異域故事館展示)

1954年の第一次撤退のあとも、一部の部隊はミャンマーやタイ、ラオス北部などに残りゲリラ戦を続けていましたが、1961年にこの部隊の台湾への撤退が決まり、4406名の反共義民が台湾に移ることになりました。

台湾にある孤軍関連の眷村(異域故事館展示)

撤退してきた人々の移住先(異域故事館展示)

この1961年の第二次撤退では、引き続き軍に属する者以外は境遇や身分によってそれぞれ異なる地域に送られました。

こうして雲南にルーツを持つ国民党軍関係者の村が南投の見晴(清境農場)や高雄農場にもできたのです。


高雄・屏東の境界、里港へ


今回紹介するのは台湾南部の高雄と屏東にまたがる地域「里港」。泰緬孤軍(異域孤軍)の第二次撤退(1961)により作られた眷村です。

現在の行政区分では、高雄市の美濃区と屏東県の里港郷の境界にあたる地域で、雲南料理を出すお店が点在しているのが地図からも見て取れます。

信國社區と近隣の地図

この地域を行政区でざっくり分けると、屏東県側の信國社區と、高雄市側の精功社區になります。


「異域」での日々を紀念する信國社區文物館

信國社區文物館

信國社區文物館(map)と書かれた建物の前に、軍服を着た男性と雲南省の少数民族の衣装を纏った女性のキャラクターが立っていました。

この町に暮らす人々の歴史を記録する施設です。

文物館の入り口(閉館でした)

文物館の設立者・梁宏才さんは雲南省の西南部にあたる西雙版納(シーサンパンナ)地域の出身で、父に伴い国民党軍に従事し、11歳の頃に第二次撤退に加わり台湾に移ったようです。

参考サイト

文物館の壁に描かれた雲南の少数民族

蒋介石の胸像と「永懷領袖」の文字

前庭には蒋介石の胸像が「永懷領袖」の文字とともに立っていました。国民党軍に従事し、故郷を離れてまで奮闘した記憶はここに暮らす人々のアイデンティティーになっていることが伺えます。

閉館中の文物館をのぞくと…

文物館はあいにく休館でしたが、入口のシャッターの隙間から内部を覗くことができました。

孤軍としてミャンマーやタイで戦った歴史

文物館の解説1

里港の住民は国共内戦で雲南からミャンマーへ逃れ、ゲリラ戦を繰り広げた部隊とその子孫たち。桃園龍岡の異域故事館にも彼ら泰緬孤軍に関する解説はありますが、龍岡とここ里港住民は台湾に撤退した年代が異なります。

1953年〜1954年の第一次撤退で台湾へ撤退した龍岡のグループに対して、里港のグループは1961年の第二次撤退組です。第一次撤退のあともミャンマーの山岳部で「雲南人民反共志願軍」を結成し、ゲリラ戦を続けていました。

覗き見た文物館の展示

文物館には1953年以降、1961年までの当時の写真も展示されていました。

文物館の解説2

文物館の入り口に書かれた對聯

「一路走來始終如一
回首異域滇緬邊區共甘苦
返台解甲荖濃溪畔齊高歌」

文物館の入り口には、孤軍として故郷を離れ、苦楽を共にした仲間と台湾に”帰り”武具を脱ぎ、ここ荖濃溪のほとりで共に歌う…というような内容の對聯が書かれていました。

孤軍から台湾へ”帰った”第一世代は、それまで戦争に明け暮れた世代。貧しい土地での慣れない農業は苦労の連続だったと言います。

文物館向かいの活動中心


地域に点在する雲南料理店

蘇家小吃

蘇家小吃で食事する観光客たち

このエリアには、数軒の雲南料理屋が営業しています。私が訪れたのは週末のお昼どき。にぎわっていた蘇家小吃へ入ることにしました。

蘇家小吃で食事する観光客たち

利用客は観光客が多いようです。店員さんに米干と米線の違いを尋ねている声が聞こえました。

(米干は米粉を溶いたものを鉄板に薄く敷いて蒸し、短冊状に切ったきしめんのような形状で、コシはない。米線は押し出し麺で、断面は丸く、食感はややモチモチしている物が多い。雲南の米線は断面が2mm程度の太さの物が多い気がします)

蘇家小吃の食品販売コーナー

自家製の雲南料理の他、タイから輸入されている調味料やドリンクなども並んでいました。

蘇家小吃の涼拌米線と涼拌木瓜

ひよこ豆やえんどう豆で作る豌豆粉が食べたかったのですが、私の直前で売り切れ。涼拌米線と涼拌木瓜をいただきました。

こういったメニューは台北市内や新北市のミャンマー街、桃園の龍岡などにある雲南系食堂の定番メニューにもあるため、私にとっては馴染みのある食べ物です。このお店の涼拌米線は酢のさっぱりした風味のなかに、バランスよく加えられた香ばしい油がいい仕事をしていてとても美味しかったです。

鳳姐 雲南米干

屏東側に入った際に最初に目に入ったのは「鳳姐 雲南米干」の看板。周りは砂石工場や畑に囲まれたのどかな集落で、普通の民家のような店構えのお店でした。

同じ通りには雲南系食堂や、南洋の植物を育てる農園、そして滇緬民俗文化協會(2005年発足)の建物がありました。

(「滇」は雲南を表す古い地名、「緬」はミャンマー)

滇緬民俗文化協會

滇緬民俗文化協會では2019年から水掛け祭りなどのイベントが催されているようです。

里港の町並みに溶け込む「滇緬」の要素

「滇」の文字で雲南との関連が伺える

行政区は屏東の里港郷と高雄の美濃区にまたがる

自転車で移動し、高雄市側へ…。

中華民国の旗を掲げたレストランを発見。少数民族の「瑤族」が店名に入っています。

雲南ヤオ族風味のレストラン

お店を切り盛りする字大姐は父親や漢族で母親が瑤族(ヤオ族)だそう。台北で働いていたのですが、Uターンしてこのお店を始めたようです。

参考ページ
前往高雄美濃精功社區,一探讓味蕾展翅的「孔雀宴」,以香氣揭開滇緬四國九族神秘面紗

滇緬香料共和國

お店の傍には「滇緬香料共和國」という庭園がありました。このエリアでは雲南料理に使う特殊な香草などを栽培している農場がいくつかあるほか、水淹菜などの漬物も自家製で作っているみたいです。

さらに進んで行くとねこちゃんの溜まり場を発見!

ねこちゃん!

雲南李家米干という食堂でした。こちらも寄ってみたかったのですが、胃袋の容量が足りず…。お店の外からねこちゃんを眺めました。

雲南李家米干

歩くサビねこちゃん

こちらを見るサビねこちゃん

こちらを見る茶トラとキジトラねこちゃん

魚料理を持って隣へ行く人間を追いかけるねこちゃんたち

こちらを見るねこちゃん!!


所々に見られる雲南の意匠

雲南の地理や文化のふしぎを描く「雲南十八怪」

先ほどの李家米干の裏に雲南の意匠で彩られた壁や建物を見つけました。

精功社區發展協會の建物

成功新村にある雲南料理屋の看板

精功社區にある雲南の食べ物を描いたモザイク画

精功社區にある雲南の少数民族を描いた壁画

私が訪れた日には特別な催しはありませんでしたが、地元の若者のグループがこの地域の特色をアピールすべく、町歩きなどのイベントを企画しているようです。


参考ページ

バスでのアクセス方法

屏東客運8220路線

里港は高雄や屏東の観光地から離れたエリアにあります。公共交通機関で行く場合、屏東轉運站(バスターミナル)から屏東客運 8220に乗車し、「吉洋分場」で下車すると、信國社區文物館の手前に到着します。

(「里港」という名前のバス停は川を渡る手前の地域なので注意)

8220のバスの便数の少なさと、このエリアの食堂の営業時間(お昼過ぎには終了)を考慮すると、朝早い便に乗るのが理想的だと思います。

文物館そばのバス停「吉洋分場」

ちなみに高雄市内から自転車で行く場合、片道45kmほど(2時間半程度)で、道はほぼ平坦です。足を伸ばせば客家文化の根付く美濃にも行ける良い日帰りサイクリングルートです。(里港のこのあたりにはYouBikeステーションはありませんが…)


終わりに

Bar BEER特別パッケージ「龍岡米干節」

泰緬孤軍に関する地域ということで、ずっと行ってみたかった里港。今の所、観光地としては派手さはありませんが、地元の若者による町歩きのイベントや、2019年から始まった水掛け祭りなど、特定の時期には観光客の楽しめるイベントがありそうです。

今回は初めての訪問ということで、準備不足感が否めませんでした。このエリアには見学可能な農園や、事前予約が必要なレストランもあり、初見ではここに暮らす人たちのお話を聞く機会が作れませんでした。もし再訪することがあれば、ちゃんと準備した上で挑みたいです。また、もう一つの1961年撤退組が暮らす南投の清境農場へもいつか行ってみたいです。



参考サイト
参考文献
▶︎台湾におけるタイ料理屋から多様な歴史と系譜を見る

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