中壢忠貞市場で台湾に暮らすパンデーに出会った | Panthay in Taiwan


忠貞市場で雲南ムスリムのパンデーに出会った

数ヶ月ぶりに中壢(台湾桃園市)の忠貞市場にあるハラール食堂「清真園」を訪れた際に、気さくな老闆とお話していたら、彼らがパンデーだということを教えてもらえました。これまで本の中でしか知らなかったパンデーと名乗る人に実際に出会えたことに感動しました。


過去記事:忠貞市場についてはこちら
▶︎中壢忠貞市場と龍岡モスク:泰緬孤軍と台湾に渡った雲南のムスリムたち | Zhongzhen Market & Longgang Mosque


パンデーとはどんな人々なのか

パンデー(パンゼー / Panthay)とはミャンマーに暮らす雲南ムスリムの人々のことを指します。多民族国家であるミャンマーには135もの民族が暮らしていますが、パンデーはそこにもカウントされない少数民族です。

中国では元王朝の頃から多くのムスリム(回民)が暮らしていました。1856年清王朝の時代、雲南省大理で杜文秀率いる雲南ムスリムが蜂起し、清朝と衝突するパンゼーの乱がありました。しかしこの蜂起は1872年に杜文秀の死をもって鎮圧され、多くのムスリムが近隣のミャンマーやタイ、ラオスなどに逃れました。この人々の末裔や、中緬間の交易に従事していたムスリム商人などがパンデーと呼ばれています。

パンデーの人々はミャンマー各地に散らばって暮らしていますが、マンダレーには杜文秀の政権崩壊以前からパンデー・モスク(瓦城華裔清真寺)があるそうです。元々雲南のムスリムはこの辺り一帯で古くから雲南馬を用いた馬幫貿易という交易に従事していました。

パンデーの歴史については『中国のイスラーム思想と文化 (アジア遊学)』この特集のうちの一編、木村自氏の『虐殺を逃れ、ミャンマーに生きるムスリムたち−「班弄人の歴史と経験」』に詳しくまとめられています。

忠貞市場にある清真園の老闆の馬さん一族はミャンマー東北部ラーショーの出身で、店には実家の写真が飾られていました。「緬甸(ミャンマー)臘戌(ラーショー)実家の記念写真」と書かれています。




雲南ムスリムの人々の台湾への移住


パンゼーの乱により清朝末期にミャンマーやタイ、ラオスなどに移った雲南ムスリムの他に、近代中国においても中国から近隣諸国に逃れた人々がいます。

1945〜50年、中国大陸では国共内戦が起こりました。劣勢に立たされた国民党軍は徐々に辺境に追いやられ、ついにはミャンマーやタイ北部へと後退していきます。異郷に残された彼らは泰緬孤軍と呼ばれました。その中にも雲南のムスリムもいたようです。

1953〜54年には、国民党軍に従属していた泰緬孤軍が台湾へ帰還します。その際に彼らが住む場所として用意されたのが、桃園中壢の龍岡にある忠貞新村という眷村です。

忠貞新村に住むことになった孤軍の中には雲南ムスリムがいたため、龍岡には1964年にモスク「龍岡清真寺」が建てられます。そして隣り合う忠貞市場には多くの雲南料理の食堂や雑貨屋が軒を連ねることになりました。


忠貞新村とは別の文脈ですが、60年代から80年代にかけて、新北市中和エリアへもミャンマー華僑の人々が移住を開始し、ミャンマー街(華新街)を形成しています。このコミュニティーにも雲南ムスリムの方が経営する食堂が数軒あります。清真園の馬さんは新北市のミャンマー街に暮らす雲南ムスリムは親戚だとおっしゃっていました。


ミャンマー街についてはこちらの記事
▶︎台湾のミャンマー街のカフェはチャイハネのようだった | 中和華新街 Myanmar Street


さて、馬さんはミャンマー街のムスリムは親戚だとおっしゃっていました。気になって後日実際にミャンマー街の店主たちに尋ねてみると、血縁ではないとの返答をいただきました。もしかしたら同郷の同族であるという意味での親戚(同胞)、という表現だったのかもしれません。




木村自氏の論文『現代移民の多様性 : 台湾回民のエスニシティと宗教 : 中華民国の主体から台湾の移民へ』によると、現在の台湾に暮らす回民にとって、回民というアイデンティティは薄れつつあると報告されていました。

現在の台湾で暮らす回民の自己認識として、宗教はイスラム教を信仰しているけれど、漢人とは異なる民族ではない、と彼らは考えているようです。

そのため清真園の馬さんがパンデーだと教えてくださったのは、もしかしたら貴重なことだったのかもしれません。今でも故郷と一族のアイデンティティーを保っているのだなと感じました。






台湾はよく多民族の国だと表現されます。特にエスニックグループを原住民族、本省人(福佬人や客家人)、外省人という4つのグループに大分されることが多いです。さらに現代では東南アジアから多くの労働者や結婚移民を受け入れています。

この分類では、パンデーの人々は国民党と共に台湾島にやってきた外省人に分類されます。とはいえこの外省人も内部は非常に多様で、今回のように雲南省出身のムスリムもいれば、他の省出身の漢人もおり、様々な文化が台湾に入ってきました。食文化に注目してみると、台湾グルメとして有名な小籠包や牛肉麵も外省人の食文化だとよく言われていますね。


健康志向で敬虔なムスリムの清真園のオーナー馬さん

話を忠貞市場に戻すと、ここでは雲南省の米を使った平たい麺料理『米干』が名物と言われています。市場内部や周辺には多くの米干レストランが並んでいます。


清真園のオーナーはミャンマー出身の雲南ムスリムということもあり、ここでは現地のインド人に習ったと言うスパイスを使ったカレーやナン、雲南料理の米干や稀豆粉、濃厚なミルクティーなど、多様な文化を持つミャンマーの味を楽しむことができます。

清真園 - 慕斯烤餅&熱奶茶

お店は平日はお昼の12:30まで、土日は13:00までと、早くに終了してしまいます。閉店間際に訪れるとすでに多くのメニューは売り切れ…ということもあるので、午前中早くに訪れることをおすすめします。


清真園 - 咖喱捲餅

また別の日に清真園を訪れた際に、たまたまお店をお休みしていた馬さんが、趣味のアラビックカリグラフィーをする様子を披露してくださいました。



いつもとても気さくに色々お話を聞かせてくださる素敵な老闆なので、忠貞市場を訪れる際にはぜひ清真園をのぞいてみてください。


他にも「#今日の忠貞市場」で時々このエリアのツイートをしています。


(追記)2022年3月に異域故事館がオープンしました

2022年3月オープンの異域故事館

龍岡に暮らす人々「泰緬孤軍」の故事館が2022年3月にオープンしました。一帯は文化園区としてリノベーションされ、龍岡の新しい観光スポットになっています。

2022年4月に実際に参観した時の記事はこちら



清真園(忠貞市場)への行き方



▶︎店名:清真園雲南回民異國小吃
▶︎住所:桃園市平鎮區中山路27號 (map)
▶︎営業時間:7:00~12:00 (土日は13:00まで / 月曜定休)

台北から行く場合は、まずは台湾鉄道か客運(長距離バス)で中壢へ行きます。台北車站から國光客運が中壢行きのバス1818を運行しています。台北からは他にも士林、松山空港、市政府バスターミナルからも中壢行きがあるようです。


台北駅から中壢へ
國光客運(長距離バス)1818

乗り場:市民大道側の北一門 (map)
運行間隔:10〜20分に一本
乗車時間:約1時間
運賃:大人81元(悠遊卡で支払い可能)

台湾鉄道

時刻表
乗車時間:約40分〜1時間30分(車種によって異なる)
運賃:57元〜89元(車種によって異なる)



中壢から忠貞市場へ台北から國光客運に乗った場合、桃園客運總站 (map) に到着します。台湾鉄道の中壢駅へは徒歩で3分ほどの距離です。

・路線バス
中壢駅の中壢客運バスターミナルから「バス112北(もしくは南)」に乗車し、忠貞で下車。乗車時間は43分。(とGoogleマップには表示されましたが、そんなに時間はかからなかったと思います)

・YouBike(公共シェアバイク)
中壢駅前と忠貞市場にYouBikeのターミナルがあるので、時間とお金を節約したい(台湾での自転車の運転に慣れている)人にはおすすめの手段です。20〜30分程度で到着します。

・タクシー
中壢駅前でタクシーを拾ったのですが、忠貞市場までは一律200元と言われました。




清真園の隣の雑貨屋にはかわいいねこちゃんがいます。見つけたらぜひごあいさつをしてみてください。


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