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台湾南部を歩いていた際に見つけた「外省麺」という料理屋の看板。北部では見かけたことのない料理名にそそられ、実際に注文してみると…?
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外省麺ってなに?
台南の麻豆や佳里を歩いていた際に目にした「外省麺」の看板。台北在住の筆者にとっては見慣れない文面だったのでとりわけ目にとまりました。
「外省麺」ってなに…?!
と気になり店のメニューを確かめると、なんということはない、北部でもよくある餛飩麵(ワンタン麺)や榨菜肉絲麵(ザーサイと細切り肉が入ったスープ麺)などがメニューに記載されていました。
麻豆や佳里ではやたらと「外省麵」という看板を見かけた
— amikawa (@amikawa125) November 8, 2022
気になって入ってみたら、なんのことはない、メニューは餛飩麵や榨菜肉絲麵、麻醬麵など、今となってはどこにでもあるような小麦麺のラインナップ。でもこういうのは"外省"の食べ物なんだよという確かなコンテクストが感じられるね pic.twitter.com/smykS0hCf4
佳里春長外省麵
台南市佳里區忠孝路237號(map)
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台湾中部、彰化溪口で見つけた外省麺の看板 |
中部の彰化縣溪口を歩いていた際にも「外省麺」の看板を発見。こちらのお店のメニューはよりシンプルで「乾麵」(汁なし)か「湯麵」(汁あり)と、スープ類および小菜というラインナップでした。
外省麺のお店のメニュー |
彰化縣溪州鄉中興路24號(map)
湯麵(汁あり麺)を注文 |
汁ありの湯麵を頼んで出てきたのがこちら。北部のお店では肉燥麵と言ったら出てきそうな、肉そぼろの載った白い小麦麺の料理でした。
様々な食材の滷味が並ぶ |
山盛りの滷味 |
メニュー構成や副菜のラインナップから見ても、北部にも普通にあるような白い小麦麺を使った料理の店です。しかし北部にないのが「外省麺」というこれらの麺を総称する表現…というのがここまでで理解できました。
南部に来たら「外省麵」の看板を探そうと思っていたのよ
— amikawa (@amikawa125) August 12, 2023
高雄市街でもあるようなんだけど、タイミングが合わずに入店できていなかったのが、旗山でちょうど見つけたので入店
スープが甘くてびっくりした。あと珍しい涼拌水蓮。水蓮がお隣の美濃の名産だからかなhttps://t.co/d6nKCvHRf2 pic.twitter.com/7yAM52Pwv5
北站手工外省麵
高雄市旗山區延平一路185號(map)
さらに南部の高雄でも外省麺の看板を掲げるお店を見つけたので入ってみました。やはりこちらも白い小麦麺を出す料理屋でした。
なぜ南部では白い小麦麺の料理を「外省麺」と呼ぶのか?
美濃自製外省麵や來說外省麵によると、南部・高雄の内門区にある一軒の麺料理屋がその名称の発祥であるようです。戦後に台湾へ渡った国民党の兵士で退役後に内門に落ち着いた盧盛楨という人物が麺料理の店を開き、それを周りの台湾人が「外省麺」と呼び始めたのがこの名称の起源だそう。
台湾における米食と麺食
そもそも台湾の漢人の食文化において、古くから主食とされてきたのは華南地方と同様に米(および芋)で、小麦を使った中国北方の麺食は戦後に広まった食文化です。(※小麦を使った麺が全くなかったわけではなく、北部の切仔麵に南部の擔仔麵など、潅水を使った黄色い麺は昔から食べられていましたが、今回は割愛)
※ここで言う「麺食」とは麵條(ヌードル)だけでなく、小麦を使って皮を作る餃子や饅頭なども含まれます。
台湾の4大エスニックグループのひとつに数えられる戦後に渡ってきた外省人の中には江西省や山東省の漢人もいたので、台湾で麺食が広まったのは外省人がきっかけだったのか…?と考えたのですが、実際には外省人の増加によるものだけでなく、戦後アメリカが台湾(中華民国)に対して行った支援(美援)が大きな要因だったようです。
アメリカの経済支援「美援」による麺食文化の浸透
1950年に朝鮮戦争が勃発し、台湾は共産勢力と対抗する前線となります。アメリカは台湾の戦略的地位を重視し、様々な経済支援を行いました。ちょうど台湾は1949年の国共内戦敗退による人口増加で食糧不足に瀕していたところ、アメリカから小麦粉や粉乳、食用油などの物資が供給されることになりました。
しかし大部分の台湾人にとって主食は米。小麦粉から作る麺やパンなどを食べる習慣はありませんでした。そこで政府とアメリカは「麵麥食品推廣指導委員會」を組織し、麺や饅頭、小籠包、蔥油餅などの作り方を指導し、台湾に麺食が広がっていったそうです。
国民政府がやってきた。美援により得た小麦の包装袋を再利用して創ったズボンの話は読んだことがあるな
— amikawa (@amikawa125) July 31, 2023
そして台湾の経済が発展した時代、さらにはこれまでの社会運動についての内容もhttps://t.co/PirdbZ3YYo pic.twitter.com/TkbguItKx7
美援により供給された綿製の小麦粉包装袋は再利用して子供用のズボンにされており(写真2枚目)、当時の人々の共通の記憶となっているそうです。(上記写真は台南の國立台灣歷史博物館の展示品)
なぜ北部では「外省麺」と呼ばないのか?
台湾において、麺食が広がったのはアメリカの支援がきっかけでした。特に元々麺食の文化を持っており、調理に長けていた外省(江西省や山東省など)出身者が麺料理の店を出し、本省人にとってはそれが「外省」の人々が作る料理だと印象づけられていたことでしょう。
それならなぜ「外省麺」という呼称は南部でのみ使われ、他の地域ではそう呼ばれないのか?特に北部は国民党とともにやってきた人たちの眷村が集中している地域で、全土の4割の眷村は台北周辺にあったと言われています(1956年調べ 外省人的人數、來源與分布(PDF))。麺食文化は他のどの地域よりも普及していたと思われます。
むしろ眷村や外省人が少数派でなかったからこそ、北部では白い小麦麺をわざわざ「外省麺」などと呼ばなかったのかな…と想像します。
終わりに
今回は、台南・彰化・高雄で見つけた「外省麺」から、台湾における麺食文化を振り返りました。現在ではどの地域でも普及している素朴な麺ですが、これらが広まったのは外省人だけでなくアメリカの経済支援が影響していたことがわかりました。
こうなると、次は南部で用いられる「外省麺」という呼称の北限はどこなのか…という疑問が頭をよぎります。今の所、彰化が北限ですが、台中以北にもあるのでしょうか。これからも探求していきたいと思います。
ちなみにですが、近年台湾では現地の食文化に関する学術研究が盛んで、様々な研究書や一般書が出版されています。中でも師範大学の陳玉箴老師が書かれた「台灣菜 的文化史:食物消費中的國家體現」の内容が豊富で面白いです。
『「台灣菜」的文化史』を書いた陳玉箴老師の講演「碗公裡的台灣史:什麼是台灣菜?」を聞きに行ってきた
— amikawa (@amikawa125) March 9, 2024
岩間先生の『中国料理の世界史』の台湾のチャプターでも言及されてた話が出てきて面白かった。台湾菜・台湾料理…異なる時代、エスニック・グループ、社会階級などで食べられてきた台湾の料理 https://t.co/cNz7shdojl pic.twitter.com/JHpaOHyPlu
参考記事
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美援による経済支援で作られたダム「石門水庫」
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めちゃくちゃ面白かったです。今度、私も探してみようと思いました。
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