台湾とタイ北部を繋ぐ天空の茶畑・福寿山農場


台湾中部を走る中央山脈。そこに開かれた福寿山農場では温帯の果物や茶葉栽培が盛んに行われています。この高原の農場はかつてタイのロイヤル・プロジェクトに協力し、タイ北部で農業支援を行なっていました。果たして福寿山農場とタイ北部、特に泰緬孤軍の子孫たちとの交流はあるのでしょうか?

今回の記事は、台湾中部にある雲南とタイ北部をつなぐ旅・後編です。



前回の記事では泰緬孤軍の村、台湾中部・南投県清境農場を訪れ、台湾にある孤軍コミュニティ同士の繋がりを見てきました。また、台湾最大の孤軍の街・龍岡で行われる米干節というイベントには清境や里港の人たちの姿もありました。




今回の舞台も台湾を南北に走る中央山脈。清境農場からさらに進み、台中市の福寿山農場を訪れます。ここは戦後に退役軍人たちが開拓した高山の農場で、台湾では珍しい温帯の果物や茶の栽培を行っている地域です。

なぜここを訪れたのかというと、タイ北部の農業の発展を推進した「タイ・ロイヤルプロジェクト」に協力したのがまさに福寿山農場だったから。雲南〜タイ北部〜台湾に跨がる歴史的な繋がりを探していきます。


退役軍人が運営する福寿山農場

福寿山農場

清境農場を出発した我々は台14甲線をさらに登り、南投と花蓮の境界である大禹嶺を越え、そこから台8線(中部橫貫公路)の山道を走り福寿山農場を目指しました。

意外に思われるかもしれませんが、福寿山農場があるのは台中市なのです。当日朝に台中市の高鐵駅を出発し南投県の山を登り、再び台中市に戻って来たのです(山の上ですが)。

茶畑(左)と高原キャベツ畑(右)

福寿山農場は標高2100m〜2614mの高原にある農場。元々は大陸からやって来た退役軍人や志願農業者たちが事業として1957年から開墾し、現在は中華民國國軍退除役官兵輔導委員會(退輔會)が経営しています。

福寿山農場ビジターセンター

福寿山農場の範囲は広く、現在では観光農場としても発展しており、季節ごとに桜が見られたりキャンプができたりと、多目的なレジャー施設としても親しまれているようです。

まず訪れたのは福寿山のビジターセンター(map)。

2017年に60周年を迎えた福寿山農場

ロビーには福寿山農場60週年(2017年)の際にまとめられた回顧展の解説板がありました。

農場の所在地は標高2000mを超える中央山脈の上。日本統治時代にはこの山を東西に横断する道路はありませんでした。

第二次世界大戦後、国民政府の時代となり、1949年には国共内戦に敗れた蒋介石と、数多くの軍人やその家族が台湾に逃れて来ました。急激に人口が増えたため、大陸からやって来た退役軍人の仕事の分配などの課題があり、1956年から台湾中部の台中と花蓮を結ぶ山の道路「中部橫貫公路」の開拓事業が始まりました。

中部橫貫公路は1960年に開通しましたが、その少し前から退輔會主任であった蒋経国の指示により、この辺りで農場の開拓が始まったのが福寿山農場誕生の経緯だそうです。

2017年に60周年を迎えた福寿山農場

退役軍人(栄民)の利用者には優待もあるよう

ビジターセンター館内

ビジターセンター二階には、さらに詳細に福寿山農場のあゆみを紹介した「場史館」という展示室があります。

場史館

場史館の展示では、農場の歴史を「開墾期 1957〜69年」「農業発展期 1969〜90」「観光農場転換発展期 1990〜現在」に分け、歴史の解説と当時の写真が展示されています。

福寿山農場の開墾時期(1957〜68)

特に今回の旅で知りたかったのは台湾とタイ北部の関係についてのこと。

タイ北部の山岳地域ではかねてより焼畑農業やアヘンの原料となるケシ栽培が行われており、山岳少数民族はケシ栽培で生計を立ててきました。そのような地域でケシに替わる経済作物を根付かせるべく始まったのがロイヤル・プロジェクト(泰王山地計劃)でした。

1969年からタイ王室によって推進されたこのプロジェクトには日本やイギリスなどの先進各国が協力し、台湾(中華民国)からは國軍退除役官兵輔導委員會(退輔會)が名乗りを上げました。

泰王山地計劃(1969〜70年代)

当時福寿山農場の場長だった宋慶雲氏は1971年にタイ北部を視察し、福寿山農場で成功した高山地域での温帯野菜や果物栽培のノウハウを生かし、タイ北部のドイ・アンカーン(Doi Ang Khang ดอยอ่างขาง)とドイ・プイ(Doi Pui ดอยปุย)に模範農場を設立し、現地の山岳少数民族の農業発展に貢献しました。宋氏はタイ北部では「宋爸爸(宋パパ)」と呼ばれるほど慕われる人物になったとのことです。

この時のタイと台湾(中華民国)の交流を記念して、2017年に福寿山農場の敷地内に華泰農業交流紀念園區(map)が作られました。

中華民国とタイは1975年に断交しましたが、農業を通した王室との交流は続きました。

福寿山農場の視察に訪れた蒋介石(1964年)

ロイヤル・プロジェクトで焦点となったのはタイ北部の山岳少数民族への支援でしたが、残留国民党軍の華人への支援は行われていたのでしょうか?

台湾大学の地理学者洪伯邑によると、1980年代に台湾の経済が成長すると、タイ北部に残された同胞に対する同情が文学や報道などに現れ始め、台湾の国民政府とタイ北部の孤軍の末裔たちとの連絡が再開したそうです。

異域の同胞を支援すべく名乗り出たのは「中國大陸災胞救濟總會」という組織。略称「救總」は援助項目の一つに農業支援を挙げ、茶業技術の移転が計画されました。

「救總」はロイヤル・プロジェクトに参加していた台湾の農家にも声をかけ、タイ北部に残った孤軍の村での農業発展計画がスタートしました。

こうしてゴールデントライアングルに住む華人の村にも台湾の茶栽培と烏龍茶への加工技術が進出しました。烏龍茶は特に段希文率いる第五軍の村メーサロン(美斯樂)周辺で成功を収めています。

蔣經國氏と農民たち

場史館の見学を終え、ビジターセンター内のお土産ショップ「產品銷售部」へ。

產品銷售部

前述の通り、福寿山農場の名物はリンゴや桃などの温帯果物と茶葉です。ショップではそれら農産物を加工したお菓子が揃っていました。

產品銷售部で農場のお土産を販売中

福寿山農場で採れた果物のドライフルーツ

温帯の日本から来た人間にとって、リンゴや桃はありふれた果物ですが、亜熱帯〜熱帯の台湾にとってはわざわざ外国から輸入する果物でした。特に戦後台湾に渡った中国北方出身の外省人が恋しく思うリンゴを国産できるというのは喜ばしいことだったでしょう。

福寿山農場特製の茶葉は高級品

そして福寿山農場の茶葉。私は茶には疎いですが、この価格表を見ればさすがに高級品であることくらいはわかります(特製烏龍600グラム約5万円!?!?!?)。福寿山農場の茶葉は偽物も多く出回っており、本物を識別するためのアプリまであるというので驚きました。

福寿山農場の宿泊施設

平地から清境農場を回ったこの日の夜は、福寿山農場の宿泊施設に投宿しました。

5月中旬に咲いていた桜

福寿山農場の茶園へ

日本製の防霜ファンを導入している

翌朝は福寿山農場の方の案内で茶園を見学しました。この日の気温は12度前後。盆地の台北がすでに30度近くなっているのとは別の世界が広がっていました。冬場には霜も降りるため、防霜ファンを起動するのだそうです。

福寿山農場の茶園

農場の方に「これは青心烏龍」「これは鉄観音」などと茶の木の品種と適した加工方法を教えていただきながら見学。プロの目には葉の大きさや形状の違いが明らかなのでしょう。この農場では茶摘み・茶作りは6月から行われるそうで、訪問時の5月中旬の茶葉の具合は画像の通り。

大きさの異なる茶葉

福寿山農場で栽培しているリンゴ

福寿山農場の茶園

茶園は一ヶ所に固まっているのではなく、車での移動が必要なほど広範囲に分布していました。標高が2000mを超えているので茶畑の斜面を登るだけで息切れを起こしそうです。

すごい斜度のヘアピンカーブ

標高2400mほどの茶園

天池そばのこの茶園はもっとも自然な状態で茶を栽培しているところだそうです。

標高2000m以上の茶園

福寿山農場の製茶場オフィスに戻り、農場の方にお話を伺いました。台湾(中華民国)とタイは1975年に断交しており、ロイヤル・プロジェクトから長い時間が流れましたが、今でも福寿山農場とタイ現地の農場同士の交流は行われているそうです。

農場60週年の際に発行された記念本

福寿山農場開場60周年記念で刊行された書籍「福壽山傳一甲子茶果風華再六十建場六十週年紀念專刊」を分けていただきました。

武夷茶

やはり私が気になるのは福寿山農場と台湾に暮らす泰緬孤軍、タイに残留している孤軍の子孫たちとの関係です。清境農場は孤軍の子孫が暮らす村と謳っているので関連がわかりますが、福寿山にも雲南ルーツの孤軍の子孫いるのか?農場の方に尋ねてみました。

曰く清境・福寿山・武陵は三大高山農場と呼ばれており、その三つの農場に雲南ルーツの孤軍出身者はいらっしゃったそうです。しかし雲南料理のお店をやったりなど外部から目に見える形をとっているのは清境農場だけであること、それにまとまった人数がいなかった上、世代も交代している他の農場では見つけるのは難しいとのこと。それでも宜蘭に近い武陵農場の市場で雲南の人が好む食材を売っているのを見たことがある、という証言もいただきました。

福壽長春茶

長話を終え、一泊二日お世話になった福寿山農場を後にします。


三大高山農場のひとつ、武陵農場

宜蘭方面へ向かう台7甲線

福寿山農場の方のお話に出てきた武陵農場へも、帰り道に通りかかることができました。こちらにも茶や桃などの登りが出ていました。標高は1800m、雪霸國家公園の入り口にも当たる風光明媚なエリアで、かつて蒋介石が泊まった行館もあるようです。

武陵農場(台中)

ここで雲南文化を見つけることができるでしょうか?いつかゆっくり歩いてみたいです。

武陵農場

終わりに

標高2000m以上の茶園

台湾に移った孤軍とタイに残った孤軍、そして台湾(特に国民党)との関係。それぞれ今でも様々な形での交流があることがわかりました。

タイ北部のメーサロン。私はまだ現地へは行ったことはないのですが、あそこに国民党の村があると知ったのは十数年前に読んだ下川裕治さんの本でした。それから様々なバックパッカーのブログや投稿などで現地の茶園風景を見るにつけ、憧れを募らせています。

そんな泰緬孤軍の一部が台湾に移って来ていると知ったのは、台湾に住み始めてしばらく経ってからでした。これまで桃園の龍岡、南部の里港を訪れ、彼らの歴史を学んで来ました。そして今回訪問した清境と福寿山農場では、また違った歴史の一面と、現在も続く交流を知ることができました。

今回の旅は須賀努さん、台中市政府のCさんに大変お世話になりました。改めまして感謝申し上げます。




参考資料


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