洗衫坑・茶亭・廟が一体化した社交空間:客家の里・竹東暁江亭と大茅埔庄頭伯公


日々の洗濯を行う共同の洗い場「洗衫坑」は、昔から女性たちの社交場として大切にされてきました。台湾各地の客家の里では昔ながらの洗衫坑が現役で使われており、服や野菜を洗う人の姿を見ることができます。

今回は新竹県竹東と台中市東勢で見つけた洗衫坑を紹介します。この二ヶ所はどちらも洗い場を持つ廟が主体で、地元の人たちの社交の場として活用されています。



昔ながらの庶民の社交空間?

廟に付設された社交空間

当ブログでは台湾ミャンマー街のラペイエザイン台湾の氷菓室といった、庶民の社交空間をたびたび取り上げてきました。ミャンマー街が台湾にできたのは1960年代以降、氷菓室は早いところで1930年代に登場した空間ですが、これら以前にも人々はどこかで集まって社交していたはず。それがどんな場所だったのかがずっと疑問でした。

台湾で年配の方に話を聞くとたびたび語られる「廟だよ」「大きな木の下だよ」という説を確かめるため、台湾の地方で社交の場を探す活動を始めました。

ケース1:竹東の暁江亭

暁江亭と福徳祠

新竹県竹東鎮は古くから樟脳産業や糖業で栄えた客家の里です。以前インドネシア・シンカワンの客家女性が婚姻移民として台湾に移住したお話でも言及した竹東には、100年近い歴史を持つ社交空間「暁江亭」があります。

曉江亭(map)

暁江亭と福徳祠

暁江亭は1926年に地元の人々が資金を集めて建造した茶亭で、かつて軽便車の停留所としても使われていました。付近を流れる川には東寧橋という石積みのアーチ橋が架けられ、暁江亭の隣には土地公(福徳祠)が祀られており、交通の要衝であり人々が集う場所として親しまれてきました。このような価値が認識され、文化資産の指定を受けています。

暁江亭外観。左手には土地公の祠がある

暁江亭内部。右側にはコンクリート製の奉茶入れがある

茶亭「暁江亭」内部には、コンクリート製の奉茶入れが残っています。奉茶入れは後に衛生面からやかんが使われるようになったようですが、建物そのものに茶をふるまっていた名残が見られる点が貴重です。軽便車を待つ人はここで茶を一服していったのでしょう。

かつて茶を入れていた備え付けのコンクリート製の奉茶入れ

福徳祠(土地公・伯公)

暁江亭の左手には土地を守る神様が祀られています。客家の人々は土地公を「伯公」とも呼びます。

土地公から川へ降りる階段を進むと、共同の洗い場・東寧橋下洗衫坑へと行くことができます。

洗衫坑についての解説

暁江亭から川へ降りると洗い場「洗衫坑」がある

きれいに整備された洗衫坑

東寧橋の下を川が流れる

東寧橋下洗衫坑の水はこの川から引かれています。

共同の洗い場「洗衫坑」

暁江亭下の東寧橋下洗衫坑(2020年撮影)

2020年に初めて暁江亭を訪れた際、土地公から階段を降りた東寧橋下洗衫坑ではちょうど女性が洗濯をしている最中でした。

昔話の冒頭といえば「おばあさんは川へ洗濯に」がお約束ですが、洗濯機が普及した現代にこんな光景が残っているなんて、というのが最初の感想でした。

橋の下をのぞくと、洗濯をしている女性の姿が見えた

東寧橋下洗衫坑

洗濯という日々の生活に欠かせない行為は、古くから川辺で行われていました。

台湾各地では農業用の灌漑水路の水を利用したり、湧水を引いて洗い場が作られてきました。私が「洗衫坑」という名称を知ったのは客家文化の文脈でしたが、服を洗濯をするのは当然客家の人たちだけではありません。各地の農村部でも共同の洗い場が作られ、利用されてきました。

調べたり現地へ行ってわかったことは、客家の洗い場文化は信仰と結びつけられる例が多いこと(伯公のそばに洗い場が作られる例が多数あり、年に一度拜拜をする例もある)、洗濯をする女性たちの情報交換の場として認識されているということ、服だけでなく作物の野菜や農具などを洗うのにも利用されていることなどがあります。

そして重要なのは、台湾の洗衫坑は今でも一部は現役で使われる施設だということです。

東寧橋下洗衫坑

最初に暁江亭の洗衫坑に出会ってから、桃園や新竹、苗栗などの客家の里で洗衫坑を探しはじめ、最近は本格的に客家の共同の洗い場「洗衫坑」について調べています。

まずはグーグルマップを始め、ネットメディアの報道、客家文化資産などのサイトや各デジタルアーカイブ、文化資産の普查資料や図書などから洗衫坑の情報を集めています。その様子はTwitterでお伝えしていますが、現在では台湾島内で150か所ほどの洗い場を発見しています。2025年5月現在、実際に訪問した洗衫坑の数は40ヶ所ほど。ハッシュタグ「#客家洗衣文化」で情報をシェアしています。



対面の橋の下でも洗濯をする人の姿が見える

ケース2:東勢大茅埔庄頭伯公

台中市東勢の慶東里にある伯公廟

台中市の東勢は林業で栄えた客家の里です。そんな東勢の慶東里(俗称:大茅埔)という集落で、竹東の暁江亭と同じような、廟・洗衫坑・茶亭が一体となった空間を発見しました。


東關路福德祠 大茅埔庄頭伯公(map)

中部横貫公路(台8線)沿いに位置する伯公廟

廟・茶亭・洗い場がそろう複合文化空間

東勢大茅埔庄頭伯公は道路に面した伯公廟(福徳祠・土地公)、その奥に茶亭、その下に流れる水路が洗い場になっていました。

茶亭は社交の場として機能している

訪問したのは5月のとある土曜日の午後で、茶亭では地元住民と思われる方々がまさに社交の最中でした。

テーブルには茶壺が置かれ、茶をしばけるようになっている

ちょうど茶亭でおしゃべりに興じていたおじさんが話しかけてきてくださり、この廟のことを色々と教えてくださいました。その頼おじさん曰く、ここに集まるのはほとんどが定年退職した人たちで、基本は地元住民だがわざわざバスで来る人もいるとのこと。廟の目の前がバス停なので、交通も便利なのだそう。

廟の下に水路が流れ、洗い場になっている

茶亭下の洗い場はしっかり整備されているものの、残念ながら現在は使用されているような形跡はありませんでした。

灌漑用水路・老圳の水を利用した洗い場「洗衫坑」

集落の重要な水路・老圳の解説

頼おじさんがまずは今いる伯公廟を案内してくださいました。

集落の土地公・土地婆と石哀の解説

台湾各地に数多く祀られている土地の神様ですが、大茅埔庄頭伯公では土地公(男性)だけでなく、土地婆(女性)が祀られているのが大変珍しいです。

土地公・土地婆に参拝する頼おじさん

大茅埔の土地公と土地婆。土地婆は子を抱いている

客家語で母を表す石哀も祀られている

大茅埔庄頭伯公の入り口には集落の古い写真が展示されていました。

敷地の入り口には古い写真が掲示されている

かつて行われていた大甲渓での儀式

灌漑水路は子供たちの水遊び場でもあった

頼おじさんの解説によると、この写真の子供たちが水遊びしている水路はこの廟の下にある洗衫坑ではなく、徒歩で数分上流へ行った場所で、そこにも洗衫坑があるとのことでした。

さっそく現地へ案内していただきました。店先にペイントされたヒョウタンのある建物の左手の路地を下りていきます。

先ほどの古い写真に写っていた水路「老圳」上流の洗衫坑

古い写真の頃とは違い、現在では水路がコンクリートで整備され、日よけ・雨除けの屋根もあり、洗濯道具を置く場所も作られています。

福徳祠下とは別の洗い場

大甲渓を挟み、対岸には新社という集落がある

洗い場を見学したあとは、大茅埔集落の内部を案内していただきました。

客家の頼おじさんの案内で大茅埔集落を散策

大茅埔集落(慶東里)の地図

台中市東勢区の大茅埔集落は、現在の行政区分では慶東里(map)といいますが、俗称の大茅埔の方が親しまれているようでした。

大茅埔の開拓はおよそ200年前の清 道光二年(1822年)に始まりました。ここは原住民族であるタイヤル族の住まう土地に近く、たびたび衝突が起こりました。

そのような土地であるため集落の防衛が重要視され、計画に基づいた集落づくりが行われた名残を現在も見て取ることができます。

大茅埔集落の風水解説

大茅埔集落・護城河の今昔

長方形の集落外周には護城河(お堀)がめぐらされ、防衛と灌漑、そして風水の機能を担っています。

今も残る護城河

集落を案内してくださる頼おじさん

集落は碁盤の目状に規則的に道と家屋が配置されていますが、道はあえてまっすぐではなくカーブさせているそう。万が一タイヤル族の襲撃を受けた際に、隠れながら逃げやすくするためだったそうです。

大茅埔集落の道はタイヤル族の襲撃に備え、あえて曲がっている

集落の東西南北を守る将寮

集落の東西南北には将寮が置かれており、集落の客家人を精神的にも守護しています。

泰興宮(三山國王廟)

集落の中心には三山國王の廟「泰興宮」が建てられています。小さな集落といえど大変立派な廟で、様々な神様が祀られています。

泰興宮(三山國王廟)

廟の最奥には龍神が祀られ、神木がそびえていました。

泰興宮の最奥に祀られる龍神

頼おじさんの案内で、集落の主なスポットを巡ることができました。道中こちらに嫁いで来たシンカワン出身の客家女性にもお会いしました。

ねこちゃん(とてもおしゃべり)

おみやげにいただいた大茅埔の桃

お土産に頼おじさんのご友人の栽培した桃をいただき、集落の出口まで送っていただきました。

集落の外側にも水路が続く

この水路にも洗い場のような箇所があった

集落の出口まで案内してくれた客家の頼おじさん

集落の外にも感慨用水路が伸びていました。この水路は10月に行われる灯籠流しのようなお祭り龍神山水祭の会場にもなるのだそうです。また、この水路にも洗衫坑の跡地のような箇所を見つけました。

10月に行われる龍神山水祭の写真

龍神山水祭の会場となる水路

最後に余談ですが、中部横貫公路の入り口である東勢では梨の栽培が盛んなようで、あちこちでその姿を見かけました。

中部横貫公路を登った先には温帯果物の産地として有名な梨山・福寿山がありますが、東勢の梨「高接梨」は、高地で栽培される温帯の梨を平地で育つ梨の木と掛け合わせて生まれたようです。

東勢の高接梨

去年福寿山で茶だけでなくリンゴやキャベツの栽培の様子を見学しましたが、ふもとの東勢でも温帯の果物が栽培できるのですね。

東勢の高接梨

東勢の各地で梨の栽培が盛んにおこなわれている(中嵙庄集落で撮影)

山の斜面にも梨が植えられている

大甲渓と対岸の新社を望む



終わりに

暁江亭

カフェなどが生まれる以前から人々はどこかに集まり、茶をしばき、おしゃべりを楽しんできました。台湾の地方には地元の人が集まれる昔ながらの場所が残されています。

廟は信仰や政治の重要な拠点だという認識はありましたが、洗濯という日常の行為も廟の近くで行われていたというのが今回の発見でした。台湾の廟は精神的な中心としてだけでなく、実用面でもコミュニティーの中心なのだと感じました。

洗衫坑に関しては灌漑水路の水を引いて作る例も多く、漢人による開拓初期の集落作りにも関係して来る大きなテーマなので、今後もさらに調査を続けていきたいと思います。



参考記事

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