アジア最古の油田「出磺坑」に支えられた苗栗の産業史を辿る


世界で二番目に古い油田が
台湾の苗栗にあることをご存じでしょうか?

苗栗の「出磺坑」という土地では清代の頃に石油が湧き出ているのが見つかり、日本統治時代に次第に開発が広がり、産出した石油や天然ガスは近隣に提供されるようになりました。


アジア最古の油田「出磺坑」

出磺坑から産出した石油や天然ガスといった新たなエネルギーにより、製陶・茶葉・養蚕・精米・樟脳などの産業が大きく発展し、苗栗の特色となっていきました。

今回は出磺坑にある台湾油鉱陳列館をはじめ、エネルギー革命によって発展した苗栗の陶磁器産業と樟脳業の歩みをたどる旅を紹介します。



世界で二番目に古い油田「出磺坑」へ

出磺坑老油田文化園区

苗栗の「出磺坑 chū huáng kēng」という土地では清末の1861年に石油が発見され、日本統治時代(1895~1945)に徐々に開発が始まり、石油や天然ガスが採掘されるようになりました。近年では採掘量は減少しているものの、いまだ現役の油田です。

出磺坑油田から産出する天然ガスは近隣の産業のために供され、精米業・樟脳業・香茅油業・煉瓦業・精糖業・製陶業などが恩恵を受けました。

現在この油田は台湾中油株式有限公司の管轄となり、1981年に敷地内に油鉱開発陳列館(油礦開發陳列館)が誕生。1990年には新館に建て替えられ台湾油鉱陳列館(台灣油礦陳列館)となり、2019年には内容がリニューアルされて観光客に開放されています。

台湾の石油の歴史を学べる台湾油鉱陳列館

台湾油鉱陳列館

台湾油鉱陳列館

台湾油鉱陳列館では1861年に出磺坑で石油が発見されてから現在にいたる発展の歴史について展示が行われています。各時代ごとの石油と天然ガスの産出量や技術の進歩、周辺集落の発展についてや、採掘した原油の処理・加工について、模型やVRを通して学ぶことができます。

台湾油鉱陳列館

台湾にある油田の場所を示した地図。意外にも台湾の西海岸では苗栗一帯と嘉義~台南にかけて石油や天然ガスが産出する場所があるようです。

台湾油鉱陳列館

これは清代や日本統治時代(19世紀末~20世紀前半)の石油採掘の様子の模型。清朝の1861年に邱苟という人物が油田を発見し、米国人技師のケーンズとロックを招聘し採掘にあたりますが、当時の開発範囲や産油量はわずかなものでした。

日本統治時代に入ると、まずは海軍の管轄となり、後に民間企業が経営することになりました。この頃には規模が徐々に大きくなり、周辺に従業員のための宿舎や商店などができ始めます。

画像の模型の他に、戦後の採掘設備の模型もあり、油田開発技術の進歩を学べるようになっていました。

台湾油鉱陳列館

台湾油鉱陳列館

展示室一階の別の区画には、出磺坑の各地にある油井から産出する原油が展示されていました。

出磺坑老油田文化園区

陳列館は出磺坑老油田文化園区の入口にあり、その奥には油井、かつての従業員の宿舎、商店などの建造物が広範囲に点在しています。

出磺坑のこの一帯は2017年から台湾文化部の「再造歷史現場」という文化資産保存プログラムに参加しており、「出磺坑礦業歷史現場活化發展計劃」として研究や建物の修復などが行われてきました。

宿舎(修復前)

私がこのエリアを訪問したのは2021年11月ですが、2023年4月現在では宿舎など歴史建築の修復作業が徐々に完了しており、歴史観光スポットとしての魅力を増しつつあります。


トロッコの軌道

トロッコの軌道に沿って坂を登っていくと、鉄塔が建つ井架展示エリアなどへ行くことができます。

トロッコの軌道

採掘場

採掘場の解説ボード

園区内から見下ろした景色

古油井歩道

出磺坑老油田文化園区内の探索についてはこちらのブログが詳しかったです
【台湾の山奥で油田を発見!?】台湾一周旅その九:ようやく辿り着いた石油博物館は休館中?前編


出磺坑 台湾油鉱陳列館



石油により栄えた苗栗の産業史をたどる

『石油とともに歩んだ苗栗の産業』(画像は仮印刷版のためタイトルが異なる)

苗栗の出磺坑で石油や天然ガスが産出したことで、それまで薪などを使っていた近隣の各産業にエネルギー革命が起こりました。特に戦後の成長は著しく、製茶・製陶・養蚕・樟脳などの産業が恩恵を受けました。

今回は苗栗県政府文化観光局が発行した書籍『石油とともに歩んだ苗栗の産業―出磺坑関連の産業文化資源の調査』をガイドに、苗栗の産業史をたどる旅へ出発します。

陶磁器産業

台湾では清代の頃には福建や広東などから移住してきた漢人が現地で焼かれた陶磁器を持ち込み台湾島内でも流通・使用していましたが、次第に台湾島内の北投・鶯歌・苗栗・南投などで窯が開かれ、焼きものの生産が始まりました。

当初は薪を燃料とした窯が主流だったのが、日本統治時代に入ると出磺坑から供給される天然ガスを用いた登り窯が作られたため品質が向上し、大量生産が可能になりました。

1970年代〜80年代が苗栗陶磁器産業の全盛期で、公館と頭屋エリアに陶磁器工場が集まり、主に海外に輸出する商品を生産していました。

現在は一部の陶磁器工場が観光工場を兼ねた施設になっており、見学することができます。

東億陶瓷廠

東億陶瓷廠

苗栗の公館というエリアに「東億陶瓷廠」と「五穀文化村」という陶磁器工場があります。どちらも今では観光工場を兼ねており、焼きもの作り体験ができたり、柴焼の商品などを購入できるようになっています。

まずは「東億陶瓷廠」へ。

液状の陶土を型に流し込む灌漿成形という技法

東億陶瓷廠の前身である東南企業社は1971年創立、1986年に東億陶瓷廠に改名されました。主に茶葉入れや豆腐乳の器などの日用品を生産しています。現在は文化観光にも力を入れており、やきもの作りの体験ができるようになっています(要予約)。

ここではろくろ成形や型成形といった伝統的な手法ではなく、胎土を液状にし、型に流し込む「灌漿成形」(泥漿の鋳込み成形)という手法が用いられていました。

オーナーの話によると、かつては苗栗で採れる陶土を使っていたが、環境保護などを理由に現在では地元の土を使えないため、土は輸入に変わったそうです。その他、陶磁器以外の素材を使った安価な商品(プラスチック)などの登場により、陶磁器産業自体が下火になっています。


タイワンヤマネコ「石虎」をイメージした釉薬のかかった容器

茶葉や調味料などを入れるのに使える容器

焼きもの産業が衰退するなか、オーナーは焼きものに対する情熱を失わず新しい技術の習得に励んだり、地域との連携をとって文化観光という方向にも発展を続けています。

オーナー夫妻がとても親切に苗栗の陶磁器産業について教えてくださり、個性的な生活陶器も入手できました。


東億陶瓷廠


五穀文化村

五穀文化村

五穀文化村も東億陶瓷廠と同じように苗栗の陶磁器産業が全盛期だった1987年に創業した企業で、2000年に観光工場に転換し、一般に開放されています。

こちらは焼きもの体験や陶磁器の購入ができるだけでなく、焼きものアートの展示室もありました。一人でふらっと訪れたのですが、若いオーナーが親切に施設の案内をしてくださいました。

五穀文化村

五穀文化村は80年代には欧米に輸出された陶磁器のお人形(ノベルティ)生産で栄え、当時は100人を超える従業員を抱えていたそうです。

現在も陶磁器生産は行われており、従業員が灌漿成形エリア、絵付けエリア、窯エリアなどでそれぞれの作業を行う様子を垣間見ることができます。

五穀文化村

五穀文化村の電窯

柴焼きの製品

生活用の一般的な皿などのほか、柴焼きで作られた味のある茶器なども購入できます。鶯歌老街で焼きもの探しをするのが好きな方は、次はこちらに足を伸ばしてみるのもいいかもしれません。

学生さんが制作した柴焼きの鹿ちゃん

柴焼きの茶器にお茶を入れると輝いているよう

五穀文化村


苗栗陶瓷博物館

苗栗陶瓷博物館

苗栗の陶磁器産業の歴史を学ぶのにぴったりなのが苗栗陶瓷博物館です。苗栗の陶磁器生産に関わる陶土や釉薬、窯のタイプから、苗栗の陶磁器工場で実際に作られた様々な製品などを見ることができます。

苗栗陶瓷博物館

生活に欠かせない甕

苗栗で生産されていた陶磁器製品はほとんどが甕や様々な容器といった庶民の日常に欠かせない道具でした。

1970年代に日本で栄えていた欧米に輸出する陶器製のお人形(ノベルティ)産業が苗栗に伝わり、70〜80年代苗栗陶磁器産業の主要な商品となりました。

苗栗陶瓷博物館

1970〜80年代に欧米に輸出された陶磁器人形

苗栗で生産された陶器製の人形や動物の置物は主に欧米へ輸出されました。博物館には大量の当時の製品が集められていました。

1970〜80年代に欧米に輸出された陶磁器人形

1970〜80年代に欧米に輸出された陶磁器のねこちゃん

レンガも生産されていた

苗栗で採れるさまざまな陶土とその分布

北投や苗栗などに窯が開かれたのは、付近に陶土が採れる場所があったためでした。博物館の展示にも苗栗の各地で採れる陶土の紹介がありました。

苗栗で採れる陶土

苗栗の陶器に使われる釉薬

複数の窯室に分かれる構造の登り窯

その他、陶磁器を焼成する窯についても詳細な解説と模型がありました。薪、天然ガス、電気と、使用される燃料に合わせて変化していく窯のタイプを学ぶことができます。

「電窯」現在は電気を使って焼成される

鶯歌にも陶磁器博物館がありますが、あちらは台湾全体の陶磁器産業の歴史をカバーしている内容である一方、苗栗の陶磁器博物館はより地元にフォーカスした内容となっていました。


苗栗陶瓷博物館



樟脳産業

樟脳はクスノキ片を蒸留して抽出して作られるもので、火薬やセルロイドの原料となったり、防虫剤や消毒薬の原料となるなど用途の広い製品です。

台湾はクスノキの資源が豊富であったため、17世紀の清領時期の始まりの頃から日本統治時代に大量に輸出されました。

当時漢人の開拓者が苗栗の山間部にも進出し、樟脳生産に携わる集落が作られていきました。

樟脳産業においても、出磺坑で天然ガスが産出するようになってからは薪に取って代わり、産業が成長しました。

綺縁樟脳観光工場

綺縁樟脳観光工場

苗栗の銅鑼郷にはその名も「樟樹村」といういかにも樟脳に関係のありそうな地名があります。そこにあるのが1937年創業の綺縁樟脳観光工場です。

綺縁樟脳観光工場(旧・東華樟脳工場)の向かいにはお土産ショップがあります。

客家イメージの花布が巻かれた甕

陶磁器産業と同様、樟脳産業も1980年代以降はクスノキ資源の減少に伴い産業は衰退傾向にあります。そのため東華樟脳工場は樟脳油に加え、天然素材のアロマオイルや石鹸などの商品開発に力を入れ、綺縁樟脳観光工場として開かれるようになりました。

銅鑼郷で作られる菊茶

樟脳工場も内部を見学できます。

現役の樟脳工場

クスノキのチップが大量に積まれている

工場に入るなりすぅっとするような爽やかなクスノキの香りが漂ってきました。

クスノキをチップ状に粉砕し、蒸留するための装置が稼働しています。

クスノキを粉砕する従業員さん

クスノキ片を蒸留する装置

水冷却する装置

台北の国立台湾博物館南門園区には日本統治時代の樟脳工場の様子を伝える模型があったり、台湾史の書籍などでかつての樟脳産業に関する内容に触れる機会はありましたが、現役で樟脳を生産している工場は初めて見学しました。なかなか貴重なスポットだと思います。


綺縁樟脳観光工場



終わりに

出磺坑の吊り橋と愛車

アジア初、世界で二番目に発見された油田「出磺坑」で採れる石油や天然ガスは地元の産業を大きく発展させました。

出磺坑という一ヶ所のスポットだけでなく、それに伴い発展した苗栗の各産業を代表するスポットを合わせて見ていくことで、この地域の特色をより深く知ることができました。

今回参考にした書籍『石油とともに歩んだ苗栗の産業―出磺坑関連の産業文化資源の調査』には、今回紹介した陶磁器関連や樟脳工場以外にも、茶葉産業、養蚕、精米などに関する産業史とそれを代表するスポットが紹介されています。

おまけ


今回の旅の道中で見かけたねこちゃんです

小さくてかわいいちゃん

かわいいですね

青色の扉の隙間から外を見るねこちゃん

かわいいですね

かわいいですね


※出磺坑は世界で二番目に古い油田だ、アジア最古の油田だと言われていますが、世界最古の油田は米ペンシルベニア州タイタスビルのドレーク油田だそうです。


交通について


出磺坑へは、台湾鉄道苗栗駅の向かいにある国光客運駅(バスターミナル)から出ている5656線に乗り、「福德農場」で下車し、徒歩で國光橋を渡ってすぐ

東億陶瓷廠、五穀文化村、苗栗陶瓷博物館は、台湾鉄道苗栗駅の向かいにある国光客運駅(バスターミナル)から出ている5656線、101線、101B線のルート上にあります。

綺縁樟脳観光工場へは、台湾鉄道苗栗駅の向かいにある国光客運駅(バスターミナル)から出ている5664線に乗り、「上竹圍」で下車し徒歩1分



参考サイト・記事

当ブログ内の台湾観光記事




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