華僑のふるさと金門で南洋の胡椒を買う


かつて南洋に渡った華僑のふるさとの一つ金門。台湾(中華民国)の離島ですが、歴史的・文化的に閩南地区とのつながりが強い金門で、創業およそ200年になる老舗で南洋の特産である香辛料に出会いました。

南洋の胡椒

今回の記事では2023年2月中旬に訪れた金門旅行で出会った華僑のふるさと金門を紹介します。洋楼、マジョリカタイル、南洋で生まれたプラナカン文化…。台湾とは異なる歴史の文脈を感じる旅でした。

台湾とは異なる歴史文脈を持つ金門


台湾(中華民国)の離島のひとつ、金門。中国・厦門の対岸に位置し、一番近いところで両者の距離は約2kmというところにある島です。台北の松山空港から国内線で約一時間、金門の尚義空港に到着します。

金門は福建省の厦門や泉州、漳州といった閩南地区と地理的に近く、歴史や文化的にもそちらとのつながりが深いようです。そのため金門で現地の方と話すと、「台湾から来たのか」や「台湾へ行く」などと、台湾を他者化した言葉が選ばれているのが印象的でした。

そんな金門ですが、多くの南洋華僑を輩出した「僑郷」としても知られ、1920~30年代に建てられた洋楼が数多く残っています。


華僑のふるさと(僑郷)金門


金門は古くは元の頃には塩を採る工場があったり、近隣から漁師が訪れたり、人々の開墾の足跡などの記録が残っているようです。しかし土地が貧しかったため、17世紀の中頃にはすでに南洋(東南アジア)に渡る華僑を輩出していました。


金門から南洋へ渡った華僑の移民ブームは過去に4度起こったと考えられています。

最初に移民ブームが起こったのは1860年代。アヘン戦争を経て南京条約が結ばれ厦門が開港されたのが1842年ですが、その後北京条約により清朝は華人の外国への出稼ぎを開放しました。

次のブームは1912~1929年。当時は南洋での商業の発展が目覚ましく、治安も良いなどという噂が広まり、多くの金門の若者が南洋を目指しました。ただ、その後1929年の大恐慌をきっかけに、故郷の金門に戻った華僑も多かったようです。

三度目は1937年~1945年。日本軍が中国に侵攻し、金門は日本軍に占領されたため南洋に逃れる金門人が増加しました。

四度目は1945年~1949年。中国の国共内戦の余波を受け、金門の治安が悪化したため、この頃にも南洋に逃れる金門人が増加しました。

金門から南洋に渡った華僑は現地で苦力(クーリー)として働いたり、事業を起こすなどをして生計を立てました。そうして得た金銭を故郷に送金(僑匯)し、1920~30年代の金門には数多くの洋楼が建てられました。

洋楼(水頭聚落)

1971年の統計によると金門出身華僑の渡航先は、シンガポールが5万人、インドネシア2.5万人、マレー半島2.4万人となっており、計11万人程度の金門僑民がいるようです。


食べ物も台湾とは少し違う

閩南式の蚵仔煎(牡蠣入りオムレツ)

現代の金門の食事情は、一見台湾とほとんど変わらないように見えましたが、一方で同根の食べ物でも台湾とはスタイルの異なる物にも出会えました。

台湾にも清代以降多くの閩南人が渡って来ていますが、その後に様々なエスニックグループの食文化も入って来ているためか、時代の変化か、若干の変容があるのかもしれません。

金門到着の夜に訪れた金城エリアの熱炒(台湾式居酒屋)「新大廟口活海鮮」(map)では閩式蚵煎という、台湾の夜市などで「蚵仔煎 おーあーちぇん」として知られる牡蠣入りオムレツの親戚をいただきました。こちらの金門版の牡蠣入りオムレツは、台湾で食べ慣れているものよりも水分が少なめでずっしりした食感でした。ソースは甘みはほとんどなく、塩っぱい&ちょっと辛いといった感じ。

台湾の夜市で食べられる蚵仔煎(おーあーちぇん)の参考画像↓(画像右上)


その他、このお店の名物メニュー「戰地炒泡麵」もいただきました。これはインスタント麺を炒めたものなのですが、兵士が休日に食べる定番メニューだったそう。まさに戦争の島・金門を表すメニューと言えます。(大皿に見た目以上の量が詰め込まれていて、食べても食べても減らなかった)

金一焼餅店の行列(購入は一人10個まで)

金門の朝食メニューは「燒餅」や「廣東粥」が定番だそうです。今回の金門旅行で私は甜燒餅にすっかりはまってしまいました。

金城の繁華街をブラブラしていると、「閩南式燒餅」と書かれたお店(屋台)を数軒見かけました。どのあたりが「閩南式」なのかな?と思ったのですが、金門の燒餅は中に糖蜜の入った甘い「甜燒餅」と、味付けされた肉が入っている「鹹燒餅」というフィリングが入るのがスタンダードのようでした。(台湾で通常見かけるのは何も入っていない燒餅に、お好みで卵を焼いたのを挟んだりする)

閩南式燒餅

特に有名なのが金一燒餅店(map)というお店だそうです。朝6:00に開店なのですがすぐに行列ができ、8:30に行ったときにはすでに売り切れで、翌日7時台に再訪しようやく入手できたという人気ぶりでした。(月火曜は定休なので注意)

楕円形が甜燒餅(左)で、丸いのが鹹燒餅(右)

金一燒餅店で並んでいたら、居合わせた地元のおじさんが金門名物といえば胡椒だと教えてくださいました。胡椒…香辛料といえば南洋の特産品!きっと当時の華僑の商売と関係があるに違いないと感じ、さっそく金城の街へ胡椒を探しに出かけることにしました。


金門は南洋の特産である胡椒が有名らしい

創業1832年の存德藥房

金門名物の胡椒はすぐに見つかりました。金城老街の莒光路には通り沿いに多くの商店が立ち並び、いくつかの店先に胡椒や香辛料が並んでいます。中でもたたずまいが素敵だったのが存德藥房(map)という漢方薬を売るお店でした。

存德藥房の香辛料

1832年(清道光十三年)創業と、およそ200年の老舗である存德藥房の店先には小分けにされた各種香辛料が並び、その漢方っぽい芳香を一帯に漂わせていました。

売られている香辛料は白胡椒に黒胡椒から、独自のブレンドのカレー粉や唐辛子粉、五香粉に、枸杞、菊花茶など。粉末の香辛料は120g入り100元のと、60g入り50元の小袋がありました。(ちなみに蝦皮でも販売していました

存德藥房の店先に並ぶ香辛料

存德藥房の白胡椒と黒胡椒

お目当ての胡椒を入手。マレーシア産だそうです。南洋から来た金門の胡椒…!テンション上がりますね。パッケージは大変シンプルですが、金門島と「創業於清道光13年」と印刷されているのが渋いです。

きっと清の頃から変わらぬたたずまいの存德藥房

お店を切り盛りしていたのは若い女性の方。曰く薬品を収める木製の棚は創業からずっと使われている年代物だそうです。

存德藥房

存德藥房の商品を入れる瓶(後列に清代の青花)

薬品を入れている容器はガラス製の現代のものだそうですが、その後ろに青花(染付磁器)の薬瓶がひっそりと並んでいました。今では現役ではないそうですが、清代の青花瓷がずっと受け継がれているのが良かったです。

創業以来ずっと使われている木製の棚

存德藥房に入っていったねこちゃん

(こんな素敵な佇まいのお店でねこちゃんまで現れるなんて完璧すぎる…)


水頭聚落の僑郷文化展示館へ

水頭聚落

金門で一番行きたかったのが華僑の歴史を知ることのできる「僑郷文化展示館」。金城老街から自転車で西南方向へ20分弱の所にある水頭集落には数多くの閩南建築や洋楼が残っており、一部の建物が博物館となって公開されています。

まずは「僑郷文化展示館」(map)へ。

僑郷文化展示館

僑郷文化展示館二階のベランダ部分

僑郷文化展示館

僑郷文化展示館入口

僑郷文化展示館には南洋に渡った金門人が南洋で出会った衣・食など文化や、コロニアル建築についての解説がありました。

南洋でイギリスが現地の気候に適した土着の建築を参考に作り出した、日差しを避けられるベランダやバンガローと言った要素についての解説や、シンガポールで生まれた「五腳基 / Five-foot Way / 騎樓 / kaki lima」からのショップハウスという形式の建築手法、イギリスのヴィクトリアンタイルから日本で生産されたマジョリカタイルの話など、金門に建てられた洋楼の背景を知るための知識が盛りだくさんでした。

マジョリカタイルで装飾された入口

僑郷文化展示館の左隣(黃輝煌洋楼との間)の建物にも華僑や南洋についての展示がありました。正面入口の壁面に涼しげで艶のあるパステルカラーのマジョリカタイルが敷き詰められた美しい建築でした。

マジョリカタイル

以前新北市三重にある先嗇宮についてブログで「これだけの枚数を使えるなんて相当お金をかけたのだな」みたいなことを書いた気がするのですが、金門にはそれ以上にマジョリカタイルをふんだんに使っている建物がたくさんあり、僑郷金門の豊かさを感じました。

マジョリカタイルが敷き詰められている

螺鈿が施された家具

こちらの建物は外から見える入口正面だけでなく、部屋の壁にもマジョリカタイルが施されていました。その壁の前には螺鈿の施された紫檀の椅子が。

二階の階段そばにあった長椅子

階段を上がって二階へ行くと、部屋の前にはまた素敵な彫りが入った紫檀の長椅子が置いてあり…。調度品がいちいち素敵すぎました。

ニョニャ料理のダイニング

この建物には南洋に渡った金門出身華僑の人物紹介と、僑居先で生まれたプラナカンについての展示がありました。

1860年に海外への渡航が合法となる前、南洋へ渡るのは非合法の行いであり、当時単身で南洋へ出た華人男性は故郷で結婚することができなかったため、南洋現地の女性と結婚する例が多かったそうです。このように華人男性と南洋の女性の間に生まれたのがプラナカン(ババ・ニョニャ)文化です。

ニョニャ料理

二階の一番大きな部屋の展示はマレー料理と閩南・広東料理のフュージョンともいえるニョニャ料理のダイニングを再現したテーブルでした。サテやラクサ、ブブチャチャ、オタオタ、クエ・ラピスなど。金門にもニョニャ料理のお店があれば良いのに無いみたいで残念です…。

ニョニャ料理

ニョニャ料理

ニョニャウェア

ダイニングの一角にある木製の棚にはニョニャウェア(プラナカン陶器)の食器が並んでおり、プラナカン文化好きにはたまらない展示でした。ニョニャウェアとは当時景徳鎮が南洋の華僑向けに生産していた磁器で、華やかな色使いと色のコントラストが特徴です。文様は中華世界で長く愛されてきた鳳凰や花唐草など。


他にもこの建物にはプラナカンの刺繍などの工芸や、華人に受け継がれている祖先信仰などについての紹介もありました。


かつての金門僑民の海外での暮らしを知る

金水学校

僑郷文化展示館を後にし、金水学校展示館(map)へ。ここは南洋華僑の送金により1932年に建てられた学校だった場所で、現在は金門出身華僑の南洋での生活や送金(僑匯)、華僑の妻や女性の境遇、当時この学校で使われていた教科書のレプリカなどの紹介がありました。

華僑の出国証明

華僑が外国へ移住する際には現地に会館と呼ばれる地縁や血縁関係での扶助組織を作ります。これがあるため初めて渡航する金門人も異国で仕事をすることができました。

送金を受け取る金門人

南洋で苦力(クーリー)として働き、お金を貯めて故郷に送金する。公共の銀行などの制度が整っていなかった頃は民間の郵便通信サービスがあり、故郷への送金を可能にしていたようです。金水学校展示館ではジオラマで送金を受け取る当時の金門人の様子が再現されていました。

宛先と金額、依頼者の名前が書かれている

その再現によると、送金を扱うお店はなんと金城老街で胡椒を購入した「存德藥房」でした。漢方を売るお店が金融業務も行っていたんですね。

海外に出た華僑の妻の役割

この展示館で次に印象に残ったのが華僑の妻・女性についての内容です。先ほどのプラナカン文化の展示は華僑の男性と南洋現地の女性の間に生まれた文化に関する展示でしたが、こちらでは視点が変わり、当時の華人女性はどのような立場だったのかということにフォーカスしています。

華僑男性は一旦南洋で財を成し、故郷にもどり金門の女性と結婚したあとに再び南洋に働きに出ることがあったようです。その際に華僑と結婚した女性は金門に残り、結婚先の家族のために働きました。ジェンダー規範がおそらく現在より強かった時代に、妻の役割だけでなく、夫の役割も一族の為にこなさなければならなかったようでした。




終わりに

今は民宿になっている閩南建築の入口のマジョリカタイル

機会があったら行ってみたいな~と思っていた華僑のふるさと金門。期待以上にマジョリカタイルや洋楼を見られ、南洋を感じる香辛料もおみやげに入手でき、大変有意義な旅行となりました。

僑郷文化展示館のマジョリカタイル

台湾にも古い建築にマジョリカタイルがあしらわれている例が残っていますが、金門は現在もまとまった量が一度に見学できるので、好きな人にはたまらない場所だと思います。

得月樓

4泊5日の金門滞在中のツイートは「#僑鄉金門の旅」にまとめています。

金門旅行でネックになるのが現地での交通かと思います。私は主に現地のシェア自転車Kbike(台湾でいうYouBikeのようなレンタサイクル)と、ゲストハウス(市區背包客棧)で借りた自転車を利用しました。

借りた自転車で金門一周&烈嶼一周をしましたが、金門は風が強くアップダウンも多いので、特に自転車でなければだめな理由がないのであれば電動バイクをレンタルして観光をするのが良いと思います。

私が泊まったのはお店やホテルが集まっている金城エリアです。コンビニも多かったので便利なエリアでした。金門にはマジョリカタイルの施された閩南建築を改装した民宿もたくさんありとても惹かれるのですが、場所がやや不便になるかもしれません。

黄永遷、黄永鑿兄弟洋樓

黄永遷、黄永鑿兄弟洋樓

黃輝煌洋樓

黃輝煌洋樓



以下おまけです

おみやげに清代の青花碗を入手

金門民俗文物之家

金城老街にある骨董屋「金門民俗文物之家」(map)は清代陶瓷好きにはたまらないお店でした。主に店主が金門の民家から集めた古い陶磁器や木製品、紙幣などの紙類を扱っているのですが、台湾の骨董屋よりもお値段が大変良心的でした。

マジョリカタイルも売っていた

種類は少ないものの、マジョリカタイルも売っていました。正方形タイルが600元(2500円程度)、その半分サイズの長方形タイルが300元、染付のレンゲが200元、建築の装飾によく使われている綠釉花磚が250元…。

清末の霊芝紋青花碗!!!

霊芝紋コレクターの私は清末の霊芝紋青花碗を入手しました。これで400元は安すぎる…。(台北某所では同類が1000元を超える)

店主がもう結構な御歳なので、営業時間がグーグルマップ通りじゃない点は要注意ですが、金門で骨董を見たい方にはおすすめです。



台湾や南洋でおなじみの泉州発祥のおやつ「滿煎糕」

中興路滿煎糕

台湾の夜市や路上の屋台でおなじみの昔ながらのおやつ「麵煎餅」。小麦粉でできた生地にピーナッツやあんこなどを挟んでいただくパンケーキのような食べ物なのですが、これはどうやら発祥が福建省の泉州らしく、「滿煎糕」と呼ばれているようです。このおやつは様々な呼び名を持ち、華僑とともに南洋へ渡り現在も親しまれています。

金門では金城老街の路上に「滿煎糕」のお店が看板を出していました。

ピーナッツと大根のお漬物の滿煎糕

Googleマップによるとこちら中興路滿煎糕(map)の営業時間は14:30~18:00ですが、おそらく売切れ次第終了で、18:00近くに行ったら既に片付けが終わった後だったりも…。時間に余裕をもって14:40頃に再訪し、喫食することができました。ピーナッツやあんこは台湾でも定番ですが、蘿蔔(大根の漬物)フレーバーがあったのが印象的でした。



参考記事

コメント