バンコクの華人系朝食店・安樂園で安楽し、ショップハウスをめぐる

安楽園の建物と南興利の朝食

2025年の春節の連休(1/26~2/1)、実に7年ぶりとなる海外旅行へ出かけました。行き先は8年ぶりのタイ。今回の旅ではバンコクから南部のハジャイ、ソンクラー、ナコンシータマラートを巡りました。

今回はバンコクの華人系老舗飲食店をはしごし、ショップハウスをぶらぶら見学するお話です。



今回のタイ旅行の件を事前にTwitterの仲間内に漏らしたところ、南洋華人圏に詳しい香港在住の茶餐廳あにきことakiramujinaさんが1月26日にタイミング良くバンコクにいらっしゃるとのこと。運良く達人の案内でバンコクの華人飲食店へ行けることになりました。

私は前日の夜に台北を出発し、香港で乗り継ぎ、朝4時にタイのスワンナプーム空港に到着する便でした。エアポートリンクの始発に乗って、まだ夜の明けきらないバンコクの街へ繰り出します。

チャロンクルン通り

集合場所はMRTブルーラインのSam Yot(サムヨード)駅三番出口。このあたりはバンコクの旧市街というのか、昔ながらのショップハウスが立ち並ぶエリアです。

Sam Yot駅を出て、昼間の喧騒が嘘のように静かな明け方のチャロンクルン通りに降り立ちます。安藤徹哉(1993)『都市に住む知恵−バンコクのショップハウス』によると、チャロンクルン通り(Charoen Krung Road)は1862年に開通したバンコク初の近代的な道路だとか。


On Lok Yun 安樂園で安楽、したい…

On Lok Yun外観

最初の目的地はこちら、華人ルーツの老闆が経営している朝食店の安樂園(ออน ล๊อก หยุ่น / On Lok Yun)。創業は1933年で、現在は4代目がお店を継いでいるというのがWikipedia情報です。店名「On Lok Yun」は広東語読みなので、祖先は広東から来た華人なのかもしれません。

(Wikiに書かれている中国語の店名が間違ってなぜか”劉德華 アンディ・ラウ”になっている!)

早朝から賑わうOn Lok Yun安楽園

安楽園の営業時間は午前6時から午後2時半までですが、近年ではレトロな店構えが再評価され、行列ができることもしばしばだそう。


On Lok Yun 安樂園 (map)

ショーケースに並ぶMilo缶

お店の入り口のショーケースにはオリジナルのカヤジャムとコーヒー、左右にはミロの缶が並んでおり、南洋の雰囲気が漂っています。

On Lok Yunオリジナルのカヤジャムとコーヒー

On Lok Yun店内の丸テーブル

座席は円卓と、香港の茶蛋聽によくある卡位(ボックス席)が並んでいました。同じ華人圏とは言え台湾では卡位はあまり一般的ではないので、それだけでわくわくします。

皿の上で東洋と西洋が出会う

On Lok Yun安楽園の朝食プレート(トッピング4種)

安楽園でいただいたのはAll day Breakfastとカヤトースト。朝食プレートは1 egg(スクランブルエッグか目玉焼き)+ Topping(ハム、ベーコン、ソーセージ、中華ソーセージの中から2〜4種類選べます)です。

ここで私が気になったのは中華ソーセージ(臘腸)がメニューに存在すること。中華ソーセージが西洋の食材であるベーコンやソーセージと一つの皿の上で共演しているんですね!

お店の方へのインタビュー記事によると、安楽園の創業者はマレーシアやシンガポールでおなじみのkopitaim(咖啡店)スタイルを参考にしてお店を作ったそうで、1930年代のタイにはこのようなスタイルの飲食店はまだ存在していなかったようです。

安楽園のメニューは創業時から変えていないとのことですが、タイの伝統的な食文化といえば米をよく食べるため、1950〜60年代頃に入ってもタイ人にとってパンや目玉焼き、ベーコンなどの洋食は馴染みの薄い食べ物だったようです。(国際的な王朝だったアユタヤでは王族や貴族は洋食を食べていたが、一般庶民が口にするものではなかった)

スチームされたパンとカヤジャム

Bangkok Postの記事によると、1969年にタイで発行されたレシピ本には洋食メニューも記載されていましたが、レシピに登場するサーモンやベーコン、牛乳などの食材は一般のタイ人には入手が難しかったようです。

そのような60年代までのタイでしたが、1970年代に入ると上海や香港で修行した海南島出身の洋食のシェフがバンコクで海南スタイルの洋食店を営むようになったり、1972年に西洋料理も提供するFOODLANDがオープンしたり、1985年にはマクドナルド上陸したりなどの変化があり、徐々に洋食が次第に庶民にまで普及していったようです。


以上を踏まえると、1933年から提供するメニューを変えていないという安楽園の特殊さが際立ちますね。

東洋のベニスと言われたバンコクの水路


Nam Heng Li 南興利

Nam Heng Li 南興利

バンコク旧市街の華人ルーツの方が経営する老舗の飲食店巡り、次は南興利(หน่ำเฮงหลี / Nam Heng Li)へお邪魔しました。


Nam Heng Li 南興利 (map)

Nam Heng Li 南興利

落ち着いた淡い黄色に塗られたショップハウスの一階に佇む1949年創業の朝食店・南興利。

店名のNam Heng Liは海南話の発音「nam2 hheng1 li5」から来ているようなので、老闆娘は海南ルーツの華人を祖先に持つのかもしれません。華人にルーツを持つとはいえ、お店の方は普通話(中国語)はお話しされないようでした。

Nam Heng Li 南興利の素朴な店内

ミントグリーンのレトロな冷蔵庫

Nam Heng Li 南興利の朝食セット

南興利で注文できるのはトースト+カヤジャム、半熟卵、コーヒーというオーセンティックなコピティアム風の朝食セットです。タイには「コピティアム」と名乗る飲食店は多くないイメージですが、南洋華人によってこのようなスタイルの朝食店がもたらされたみたいですね。


南洋の色彩、バンコクのショップハウス

ヤワラート周辺のショップハウス

バンコクのショップハウスは自分が今住んでいる台湾のショップハウスとはどこか雰囲気が違うように感じます。

まず大きく違うのは、タイには騎樓(軒先のアーケード)を持つショップハウスがほとんどないことが挙げられるでしょうか。(南部のハジャイでは騎樓付きのショップハウスを見かけたので、地域や時代差があるのかもしれません)

アーケードの代わりに物売りのパラソルが道路にまで進出していたりと、街は活況を呈しています。

Chakkraphatdi phong通りのショップハウス

また、台湾の老街に残る(修復を受けた)ショップハウスの外観はレンガの赤褐色であるのに対し、タイのショップハウスはシンガポールやマレーシアのそれと同じく淡いパステルカラーに塗られているものが多いですね。

星暹日報のビル

ショップハウス(店屋・街屋)はその名の通り一階部分を店舗に、二階より上階を住居として使われる建築で、中国華南地方にルーツがあると言われていますが、東南アジアに広がったのは植民地時代の都市計画がありました。シンガポールではトーマス・スタンフォード・ラッフルズが通りに面したショップハウスの軒先にベランダウェイ(5 foot way, Kaki Lima, 騎樓)を設けることを指示し、それが海峡植民地内だけでなく日本の植民地であった台湾にも影響を与えました。

安藤 徹哉 (1993) 『都市に住む知恵: バンコクのショップハウス』によると、タイでショップハウスの建設が始まったのは1910年以前のことで、シンガポールを視察した当時の兵部大臣プラヤー・シースリヤウォンが奉上し、時の王ラーマ4世がバンコク初の近代的道路であるチャロンクルン通り(1862年)を開通させ、その両脇にショップハウスを建てたとされています。

MRT WatMangkon駅近くにある装飾が美しいショップハウス

最初期のショップハウスはれんが造りで装飾をもたないシンプルなものでしたが、1913年にタイで最初の近代的製造工場であるサイアム・セメント社がされ、1930年代初めには鉄鉱石も見つかり、同社内に鉄部局が設立されました。これによりセメントと鉄という近代建築に必須の材料が国営化されたため、鉄筋コンクリート造りの建築を普及される基盤が整いました。(同書p42~47)

この時期のショップハウスが高価なものであったため、ファサードの装飾などにこだわり、美しいものが多いのだそうです。

ヤワラート市場周辺

タイのショップハウスはファサードに建設年代が書かれているものも少なくなかったので、いつ頃建設されたものなのか、その様式はいかなるものかなどを観察しながら街を歩くのも楽しそうです。

Bae Sun Lee 馬順利餅家

春節間近のヤワラート一帯を散策しながら歩を進め、気がつけば中華街の牌樓付近まで来ていました。

この辺りにも昔ながらの中国語の看板を持つお店が営業を続けています。ふと目に止まったのは中華式のお菓子を売るこちらのお店「馬順利餅屋」。この佇まい、台北の萬華あたりにもありそうです。

Bae Sun Lee 馬順利餅家

台湾でも日々見慣れている華人のお菓子ですが、パッケージがタイ語表記なのが自分には珍しく、ついつい手が伸びてしまいました。

Bae Sun Lee 馬順利餅家


Bae Sun Lee 馬順利餅家 (map)


終わりに


バンコクへはこれまでも何度か足を運んでいますが、今回は南洋華人の足跡に注目して街を歩いてみました。するとタイにおける洋食の普及や近代的道路やショップハウスの建設など、「近代化」という共通のテーマが見えて来ました。

タイは欧米諸国の植民地にはなっていませんが、色々な面で海峡植民地の影響を感じました。また、当時から華人のネットワークは国境をまたいでおり、タイにもコピティアム式の飲食店がもたらされました。今でも営業を続ける老舗のコピティアムは大変貴重な歴史の証人です。これからも地元の人や旅行者に愛され、長く営業を続けられることを願ってやみません。




参考記事

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