Dvaravati(ドヴァーラヴァティー王国)は6世紀から11世紀にかけて、モーン族により栄えた仏教王朝で、首都はバンコクから西へ鉄道で1時間半ほどのところにある、Nakhon Pathom(ナコーン・パトム)だと言われています。また、その領土は現在のタイの北部〜東北部にまで及びました。
ドゥヴァーラヴァティー(Dvaravati)という名は、出土した銀貨にサンスクリット語で「sri-Dvaravati」と刻まれていたこと、中国の文献に「To-lo-po-ti」という名が記載されていたことに由来しています。
今回の記事では、筆者が2016年8月に訪れた、ナコーン・パトムの博物館と遺跡を紹介します。
バンコクからナコーン・パトムへ
世界一の高さを持つプラ・パトム・チェディ |
バンコクの中央駅から鉄道に乗り、ナコーン・パトムへ到着。駅を降りたらすぐに巨大なストゥーパが目に入りました。
このストゥーパ、プラ・パトム・チェディは、世界一の高さを誇るものだそうです。詳しくはタイ国政府観光庁のサイトをご覧ください。
この寺院は現在も地元の方々の生活の中心のようで、参拝者でとても賑わっていました。
ナコーン・パトムへのアクセス方法は鉄道のほか、バスやミニバス(ロットゥー)なども出ています。タイ国鉄の時刻はこのサイトで検索できます。タイの国鉄はordinary(普通列車)なら運賃が数十バーツととても安価なので、うまく使えば旅費を節約できます。
博物館では、遺跡で出土した遺物や、建築物の装飾として使われていた仏像などが収蔵されていました。小さな博物館ですが、当時の地元の仏教美術を知る上でとても参考になります。
バンコクの国立博物館でもDvaravati美術専用の展示室があり見学することができますが、やはり出土した場所の近くで現地のものを見られるというのは貴重な経験になりました。
ドゥヴァーラヴァティー王朝は、ここナコーン・パトムを中心として栄え、南に位置するクブア(Ku Bua)は港町として機能していました。美術史の研究によると、これらの文物の特徴から当時より外部との物品の往来があったことをうかがい知ることができると言われています。
学者によって異なる論述がなされていますが、ドゥヴァーラヴァティーはインドネシアのスマトラ〜マレー半島で栄えたシュリービジャヤ(Srivijaya)王国の影響を受けたとする説(Wales, 1978)や、ドゥヴァーラヴァティーの仏像やその他の文物の様式が6世紀インド(グプタ様式)のものに近いとする説もあるようです。
ともかく、東南アジアの遺跡をめぐる際に「Indianization インド化」ということを頭に浮かべながら見学すると面白いのです。
しかし古くから学術界では東南アジアの「インド化」という概念が提唱されているのですが、これには少し注意が必要な点もあります。そもそもインド化とはなにを指しているのでしょうか?
インドは現在でこそインド亜大陸全体を統一した国家ですが、歴史的に見ると、紀元前3世紀のマウリヤ朝の時代、17世紀ごろのムガル帝国、そして英国による統治が始まる時代以外はそれぞれ独立した王朝が林立しており、「インド」という一つの国としてまとまってはいませんでした。また、言語や文化が各地で異なり多様です。しかし早くは仏教、そして土着の信仰とヒンドゥー教のコスモロジーが人々の間で共有されていたことから、精神的にはある種のまとまりがあったのかもしれません。
そのため、東南アジアの「インド化」した古代の都市では、都市計画にインドの宇宙観が反映されていたり、仏教やヒンドゥー教の寺院が建てられていました。
地図で見るとわかるのですが、一帯は水濠で囲まれており、その中心に遺跡が鎮座しています。水濠に囲まれた都市というのは他の仏教都市遺跡でも見られる様式です。
当時の首都だとされている通り、水濠で囲まれた範囲は大変広く、規模の大きな都市であったことをうかがわせます。
遺跡の装飾として使われていたレリーフ類はすでに博物館に展示されているので、ここで見られるのは巨大な修復済みの煉瓦造りのモニュメントです。
アユタヤやスコータイの遺跡のように観光客に知られている遺跡ではないためか、見学している人影はまばらでした。
建物は煉瓦積みで、正方形の構造をしており、四辺に階段が備え付けられています。その煉瓦造りの部分が三段ほどピラミッドのように積み上げられ、その上部には現在白く塗られた塔が置かれています。
このナコーン・パトムの遺跡は規模も大きくなく、アユタヤやピマーイなどの歴史公園と比べると若干見劣りがする感は否めませんが、個人的にはドゥヴァーラヴァティー王朝に興味があるので、これからも機会があれば関連の遺跡や博物館を見学したいと考えています。
ドゥヴァーラヴァティーに関する他の記事はこちら
帰りはナコーン・パトムの鉄道駅まで歩いて戻るのが面倒だったため、隣のTon Somrong駅からバンコクへ帰りました。ナコーン・パトムにもいくつか宿泊施設がありますが、バンコクから日帰りでも十分に回れます。
動画はこちら
プラ・パトム・チェディ国立博物館 | タイ国政府観光庁公式サイト(日本語)
参考資料
1978 H. G. Wales. The Extent of Srivijaya’s Influence Abroad. Journal of the Malaysian Branch of the Royal Asiatic Society, Vol. 51, No.1(233)
Phra Pathom Chedi National Museum
Phra Pathom Chedi National Museum
寺院の裏へまわると、Phra Pathom Chedi National Museum(プラー・パトム・チェディ国立博物館) があります。プラー・パトム・チェディ国立博物館 |
博物館では、遺跡で出土した遺物や、建築物の装飾として使われていた仏像などが収蔵されていました。小さな博物館ですが、当時の地元の仏教美術を知る上でとても参考になります。
Chulapathon Chediの修復前の模型を中心にレリーフが展示されているエリア |
ジャータカ物語の一幕 |
バンコクの国立博物館でもDvaravati美術専用の展示室があり見学することができますが、やはり出土した場所の近くで現地のものを見られるというのは貴重な経験になりました。
ドゥヴァーラヴァティー王朝は、ここナコーン・パトムを中心として栄え、南に位置するクブア(Ku Bua)は港町として機能していました。美術史の研究によると、これらの文物の特徴から当時より外部との物品の往来があったことをうかがい知ることができると言われています。
学者によって異なる論述がなされていますが、ドゥヴァーラヴァティーはインドネシアのスマトラ〜マレー半島で栄えたシュリービジャヤ(Srivijaya)王国の影響を受けたとする説(Wales, 1978)や、ドゥヴァーラヴァティーの仏像やその他の文物の様式が6世紀インド(グプタ様式)のものに近いとする説もあるようです。
ともかく、東南アジアの遺跡をめぐる際に「Indianization インド化」ということを頭に浮かべながら見学すると面白いのです。
博物館には多くの法輪が展示されていました |
しかし古くから学術界では東南アジアの「インド化」という概念が提唱されているのですが、これには少し注意が必要な点もあります。そもそもインド化とはなにを指しているのでしょうか?
インドは現在でこそインド亜大陸全体を統一した国家ですが、歴史的に見ると、紀元前3世紀のマウリヤ朝の時代、17世紀ごろのムガル帝国、そして英国による統治が始まる時代以外はそれぞれ独立した王朝が林立しており、「インド」という一つの国としてまとまってはいませんでした。また、言語や文化が各地で異なり多様です。しかし早くは仏教、そして土着の信仰とヒンドゥー教のコスモロジーが人々の間で共有されていたことから、精神的にはある種のまとまりがあったのかもしれません。
そのため、東南アジアの「インド化」した古代の都市では、都市計画にインドの宇宙観が反映されていたり、仏教やヒンドゥー教の寺院が建てられていました。
外国の商人 |
ドゥヴァーラヴァティーの時代では法輪信仰が盛んだった |
Wat Prathon Chedi Worawihan 遺跡
博物館から東へ7キロほど行ったところに巨大な遺跡があります。徒歩だと二時間ほどかかりましたが、バイクタクシーも流れているので利用した方が良いです。地図で見るとわかるのですが、一帯は水濠で囲まれており、その中心に遺跡が鎮座しています。水濠に囲まれた都市というのは他の仏教都市遺跡でも見られる様式です。
Google mapより |
当時の首都だとされている通り、水濠で囲まれた範囲は大変広く、規模の大きな都市であったことをうかがわせます。
遺跡の装飾として使われていたレリーフ類はすでに博物館に展示されているので、ここで見られるのは巨大な修復済みの煉瓦造りのモニュメントです。
アユタヤやスコータイの遺跡のように観光客に知られている遺跡ではないためか、見学している人影はまばらでした。
建物は煉瓦積みで、正方形の構造をしており、四辺に階段が備え付けられています。その煉瓦造りの部分が三段ほどピラミッドのように積み上げられ、その上部には現在白く塗られた塔が置かれています。
仏像が設置されていたと思われる跡がある |
このナコーン・パトムの遺跡は規模も大きくなく、アユタヤやピマーイなどの歴史公園と比べると若干見劣りがする感は否めませんが、個人的にはドゥヴァーラヴァティー王朝に興味があるので、これからも機会があれば関連の遺跡や博物館を見学したいと考えています。
ドゥヴァーラヴァティーに関する他の記事はこちら
帰りはナコーン・パトムの鉄道駅まで歩いて戻るのが面倒だったため、隣のTon Somrong駅からバンコクへ帰りました。ナコーン・パトムにもいくつか宿泊施設がありますが、バンコクから日帰りでも十分に回れます。
動画はこちら
Phra Pathom Chedi National Museum | プラー・パトム・チェディ国立博物館
開館時間
水曜~日曜
9:00~16:00
入場料
外国人は100バーツ
ウェブサイト
PHRA PATHOM CHEDI NATIONAL MUSEUM | タイ国政府観光庁公式サイト(英語)プラ・パトム・チェディ国立博物館 | タイ国政府観光庁公式サイト(日本語)
仏塔遺跡:Wat Prathon Chedi Worawihan 遺跡
参考資料
1978 H. G. Wales. The Extent of Srivijaya’s Influence Abroad. Journal of the Malaysian Branch of the Royal Asiatic Society, Vol. 51, No.1(233)
Phra Pathom Chedi National Museum
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