開発と保存の間:台北監獄の発掘調査と公共考古学



台北の東門近くにかつて存在した台北監獄。近年公共住宅の建設予定があり、それに伴い事前の考古学的発掘調査が行われていました。

その成果発表としての市民教育の場が2023年と2025年に設けられていたので、台北在住の考古学徒の一員として見学してきました。


  • 文化資産に登録されている監獄の北の壁(map)
  • 社会住宅予定図のイメージ画像がグーグルマップに記載されています(map)

台北監獄発掘現場見学会のポスター(左:2023年 右:2025年)

日本統治時代に作られた台北監獄

監獄跡地は空き地に、かつての官舎はリノベーションされ「榕錦時光文化園區」となった

1895年に下関条約が結ばれ、台湾は日本の植民地となりました。その初期である1904年に台北城(壁に囲まれた台北の中心街)東門そばの現在の場所に台北監獄は作られました。その後、1924年に台北刑務所と改名され、1963年に桃園の亀山に移転するまで監獄として使用されていました。

監獄という性格であるため、ここは当時の政治犯として収監された人物との関わりが深い場所です。日本統治時代には抗日運動に参加した蔣渭水・林幼春・王敏川などの運動家が、戦後の国民党時代の白色テロの時代にも多くの政治犯が収容されました。

敷地内には監獄本体のほか、官舎や宿舎、農場などが存在したと記録に残っています。しかし現存しているのは南北の壁と南側の官舎のみで、壁は2013年に文化資産の歴史建築として登録されました。

文化資産に登録されている監獄の壁(南側)

台北北部で採れる砂岩でできた清代の台北城の市壁の石を再利用した監獄の南壁

文化資産に登録されている監獄の壁(北側)

文化資産に登録されている監獄の壁(北側)

開発と保存の間:台北監獄の発掘調査

2025年1月に行われた台北監獄発掘現場見学会の様子

近年、台北監獄の跡地に公共住宅「金華公宅」の建設予定があり、台北市政府都市発展局の依頼を受け、2020年〜21年(第1期、第2期)は劉培森建築師事務所・博典科技文化有限公司が、2023年〜24年(第3期、第4期)は龍門考古が発掘調査を行いました。

台北監獄で行われたこれまでの発掘調査
(2025年龍門考古作成のスライドより)

2020年の第1期発掘では尖底明溝と燻蒸室が出土し、2021年の第2期発掘調査では周辺の愛國東路210巷の試掘の際に撹乱層から石器が出土しています。

監獄の南壁に沿って地上を這う尖底明溝(2023年)

監獄の燻蒸室(左:2023年 右:2025年)

この発掘で出土した尖底明溝とは、V字状に組まれたかつての水溝で、地中に這わせるタイプではなく、地上に露出しているため「明溝」と呼ばれているようです。この水溝は監獄の南側の壁と平行に走っていました。

明溝の底にはV字にレンガが敷かれている

尖底明溝(2023年)

2023年の発掘は先回の発掘で出土した尖底明溝を取り出すための試掘という名目で行われました。もともと公共住宅を立てるための事前アセスメントという形で発掘調査が行われていたこともあり、この場所の今後の用途はすでに決定されていることでした。そのため出土した遺構の保存については開発側と考古学者の間でも議論となっていたようです。

考古学者はその場に留めることこそが歴史のコンテキストを保存する方法だと主張するのですが、公共住宅建設を取り仕切る台北市政府側としては住宅建設が優先。結果として尖底明溝はその場から掘り出して、公共住宅が完成したあとに、住宅の敷地内の一部に場所を移して再構築する…という形で話はまとまっているようです。(ただ、取り出して移築する場合、追加の費用が7000万元以上かかるらしく、この点でも考古学者は市政府を批判しています)

TRレンガと思われる菱形のマークが入ったレンガ

このような保存を巡る議論があった尖底明溝ですが、2023年の発掘調査では監獄として使われた日本統治時代の遺物だけでなく、先史時代の遺物が出土したため工事の停止を余儀なくされました。出土した先史時代の遺物は、約3000年前の圓山文化に近い時期のものと判断されました。

2023年に出土した先史時代の陶把

2024年の第4期では発掘範囲を拡大して調査が行われました。2023年の発掘現場見学会の際にはまだ行われていなかった範囲も調査され、2024年12月半ばに調査を終えたばかりとのことでした。今回の発掘調査では戦後の司法新村時代の遺構なども見つかっており、この土地が持つ歴史の積み重ねを描き出す形になっていました。

戦後この場所はどのように変わったのか
(2025年龍門考古作成のスライドより)

考古学者と市民との関係を構築する:公共考古学

2025年1月に行われた発掘現場見学会の参加者たち

2020年から行われていた台北監獄の発掘調査ですが、2023年と24年の調査を担当した発掘会社「龍門考古」が2023年10月と、2025年1月に市民向けの発掘現場見学会を開催しました。台北在住の考古学徒として、私は2023年と25年の見学会の両方に参加してきました。

2023年10月の発掘現場見学会の様子

見学会は現地に集合してから発掘会社の方による解説を聞いたのち、実際の発掘坑を見学させてもらえました。2025年の見学会ではさらに出土品の展示コーナーも用意されていました。

2024年の発掘でさらに多くの先史時代の遺物が出土した

2024年に掘られた発掘坑

2024年の発掘で見つかった明溝のY字分流点

Y字分流点の底には清代の板レンガが再利用されていた

発掘調査では、これまで文献の記録には残っていなかった監獄建築の設計に関する詳細などを知ることができたそうです。建材には清代の板状のレンガが用いられていることがわかったり、日本統治時代の監獄時期に受刑者が働いていた敷地内の工場跡などが見つかっています。

日本統治時代の遺構と、戦後の司法新村時期の遺構が出土

出土した台北刑務所時代の倉庫の基礎部分

戦後・司法新村時代の排水溝跡と汚水池

近年台湾で行われる考古学の発掘調査では、こういった市民向けの見学会などが開かれることが事前の契約により取り決められる場合が多いようです。発掘を終えた後の見学会だけでなく、発掘調査の最中に見学できる活動もあったりと、考古学と市民の関係が近づく機会が増えています。

台北監獄出土品の展示

多くの清代の陶磁器が出土している

2025年1月に行われた発掘現場見学会では、臨時の展示コーナーが用意されていました。出土品の大部分はすでに発掘を行なった龍門考古の室内研究室に移動されているそうですが、代表的な遺物は見学会で展示され、参加者たちに披露されました。

台北監獄の空間利用に関する解説

発掘調査に使う土色見本や文字板、遺構の実測図など

台北監獄の発掘で出土したのは、先史時代(圓山文化や訊塘埔文化など)、清代、日本統治時代と時期を跨ぐ遺物たち。

出土した先史時代の土器

清代の霊芝紋もいる!!!

数量としてはほとんどが清代の陶磁器のようです。これらは台湾各地の同時代の遺跡でもよく見られる中国華南地方で生産された染付磁器などです。

日本製の陶磁器も少量出土している(おそらく瀬戸美濃製?)

出土品の一部には少量の日本製(おそらく瀬戸美濃地方で生産されたもの)磁器も見られました。日本統治時代に使われた施設の遺跡とはいえ、あまり日本製の製品は使われていなかったのでしょうか。例えば同じ台北市内の別の遺跡である「植物園遺跡」では、大量の日本製の陶磁器が出土しています。これは監獄という場所の性格を表すものなのか、別の原因があるのか、たいへん興味深いです。


「その場所にあること」を残す意義

日本テーマパークと化した榕錦時光文化園區

さて、発掘現場見学会を聞き終えたので、周囲を散策してみましょう。

当時の官舎だった日式家屋がリノベーションされている

2022年に官舎がリノベーションされ、廃墟のようだった一帯がきれいにパッケージングされ、日本風の家屋にはレストランやカフェ、雑貨屋が入居するスポットになっています。

日本政府や国民党、当時の政権が人々を虐げてきた歴史を表す監獄という場所が、なんとキラキラ日本テーマパークに?!?!なっています。

榕錦時光の建物周囲には歴史解説の展示がある

(キラキラな一面だけでなく)敷地内には監獄というこの場所の歴史解説や、建築学的な解説ボードもあり、この場所の歴史的背景や意義を知ることができます。

1915年の抗日運動「西來庵武裝抗日事件」に関する解説

日本統治時代の台北監獄と抗日事件の関連性についての解説

戦後には都市住民が増え、華光社區が形成された

日式家屋の一室には、台北監獄の歴史を学べる展示室があります。小さい空間ながら、時代とともにこの場所がどう変化していったのかを知ることができる展示でした。

榕錦時光の一室にある歴史展示コーナー

台北監獄(刑務所)の歴史年表

台北監獄の変遷をまとめた展示

文化資産を商業的に利用するのは台湾ではすでに多くの例がありますし、それが現代を生きる我々の歴史記憶になっていくというのもわかるのですが、正直こういう日本統治時代の建築を利用した日本風テーマパークはすでに台湾中に溢れかえっているような気もしますね。


終わりに

2025年1月に行われた発掘現場見学会

台北の東門近くに日本統治時代に作られた台北監獄には、当時抗日運動に参加した政治犯が収監されており、台湾の歴史を知る上でも重要な意義を持つ場所でした。1963年に監獄が桃園に移転すると監獄の建築は壊され、戦後の新しい住民が住まう住宅地として利用されていました。それも21世紀の今では姿もなく、空き地となっていたところ、2020年に台北市政府は公共住宅建設を打ちたてました。

台北監獄の存在を示す地上の痕跡である監獄の南北に残る壁と官舎は文化資産に登録されています。文化資産のある場所での開発には事前の発掘調査が義務付けられているため、2020年から24年まで発掘調査が行われていました。

今回の例では典型的な開発と歴史保存の対立が描かれていたほか、文化資産の保存に関する手法についても深く考えるきっかけとなりました。

榕錦時光文化園區はMRT東門駅から徒歩ですぐの場所にあるので、観光の際にぜひ立ち寄ってみてください。




参考記事

公式サイト




当ブログの文章・画像の無断転載を禁じます。






コメント