台湾に暮らすチベット人:亡命、民主、台湾との関係

西藏抗暴日遊行(2018)

毎年3月上旬に世界各地の主要都市で行われる1959年のチベット蜂起を紀念したピースマーチ。台北では忠孝復興から台北101の間を行進します。この日は台湾中から亡命チベット人が集まります。しかしそれ以外の日には台湾在住チベット人の存在を意識する機会はあまり多くないのではないでしょうか。

今回は台湾に暮らすチベット人がいつ、どのように台湾へ渡ったのか、その経緯を紹介します。

台北にあるチベット&インド料理レストラン「西藏廚房」

西藏廚房

台北でチベット料理を食べたいと思ったら、選択肢はあまり多くありませんが、MRT科技大樓に「西藏廚房」(map)というチベット&インド料理レストランがあります。

おいしそうに食事する法王のお姿

ボリウッド音楽のMVが響く清潔な店内には、ダライ・ラマ14世のお写真やチベット仏教の道具が飾られています。

チベットの麺料理「テントゥク」

この日はチベットの麺料理「テントゥク」を注文。このお店のチベット料理は他にもツァンパ、バター茶、モモ、トゥクパなどがそろっています。

インド料理は各種カレーからナン、ビリヤニ、タンドリー料理などを一通りいただくことができます。平日のお昼にはランチセットも扱っています。

チベット仏教の仏具やタンカなどが並ぶ

このお店へは何度か訪れたことがあるものの、オーナーさんのバックグラウンドなど詳しくは知らなかったのですが、こちらの記事で紹介されていました。

TashiさんとDonkaさんのオーナー夫妻はインド生まれのチベット人で、2000年代初期に台湾へ渡りました。Tashiさんはインドで高校を卒業したあと台湾の大学に通い仕事を見つけ、その後インドで大学を卒業したDonkaさんも台湾で合流。平日の昼間に本業をこなす傍ら、このお店を経営しているそうです。

バター茶

Tashiさんは両親がチベットからインドへ亡命した亡命チベット人の二世。Donkaさんは母親がインド生まれの亡命チベット人で、父親は幼いころにインドに亡命してきたチベット人のようです。

チベット料理とインド料理に長けたシェフを招いている

西藏廚房でキッチンを預かるシェフはインドの5つ星ホテルでの経験を持つ料理人で、インドとチベットの料理に長けているチベット人のPhu Chosangさん。

インドは亡命チベット人が最初に向かう目的地のひとつで、国内には数か所のチベット人コミュニティを有します。中でも北部のダラムサラにはチベット亡命政府の拠点があり、ダライ・ラマ法王の自宅もここにあります。

チベット自治区某所(2007年)

そもそもなぜ多くのチベット人が故郷を離れて他国へ亡命するのか?なぜインドへ亡命後、一部のチベット人が台湾へ再移住しているのか?これらについて、流れを整理していこうと思います。

1959年、ダライ・ラマ14世がインドに亡命

インド北部、ダラムサラ

1951年、中国人民解放軍がチベットに侵攻し、中央政府とチベットの人々の間に「17条の和平協約」が結ばれました。しかしチベット人の宗教や文化の自由は徐々に侵されていき、1959年3月10日、ラサを中心にチベット仏教の僧侶などが反乱を起こしました。その際に危険を逃れるべくダライ・ラマ14世はインドへ亡命し、ダラムサラに亡命政府を設立しました。

ダラムサラの祈りの道

2008年までに毎年2000人のチベット人が亡命しており、現在までに海外に暮らすチベット人は15万人に及ぶと言われています。

亡命政府のあるインド北部のダラムサラは亡命チベット人が集まる最大のコミュニティですが、インドから第三国へ再移住する人も少なくありません。

台湾へ渡ったチベット人の足跡をたどる:2つのグループ

インド北部、ラダックのレーにあるチベット難民マーケット

台湾ではチベット人は少数派です。正確な統計は困難なようですが、蒙藏委員會の認識では約600~1000名、チベット亡命政府の2019年の調査では240名程度のチベット人が台湾で暮らしているようです。

亡命チベット人の台湾への移住は大きく分けて次の二つの時期に分けることができます。
  1. 蒋介石・蒋経国の両蒋時代(国民党が台湾に移った1949年から1988年)
  2. 1990年代以降(戒厳令の解除・民主化が進んだ時期)

蒋政権時代に台湾に渡ったチベット人

蒙藏文化館

1959年にダライ・ラマ14世がラサからインドへ亡命する10年前。中国では国民党と共産党による内戦が起こっていました。1949年になると蒋介石の率いる国民党は劣勢に陥り、中華民国政府は台湾へ撤退しました。

台湾に逃れた蒋介石は「反共」の名目の下、1950年代~60年代にかけて蒙藏委員會(モンゴル・チベット委員会)や中國大陸災胞救濟總會といった機関を通して、「台湾に来れば身分証や補助金がもらえる」…といった優待を挙げ、インドやネパールで"チベット同胞"の"祖国"(台湾)への帰還を促しました。

達瓦才仁の回顧録

2008年~2021年までチベット亡命政府の駐台代表を務めた達瓦才仁さんの回顧録によると、この頃の亡命チベット人の社会では、ダラムサラに亡命政府を立ち上げたダライ・ラマ14世が従来の封建制度を瓦解し民主主義への移行を試みていました。そのため一部の貴族や高僧といった旧来の既得権益者が地位を失うことを嫌い、国民党の誘いに乗り台湾へ渡ったと書かれています。

蒙藏文化館

貴族や高僧といったこの時期に台湾へ渡ったチベット人は、台湾政府によって中国語研修や職業訓練、その他生活のための補助など手厚い待遇を受けることができました。

一部には台湾人と結婚し現地社会に同化していき、チベットの文化や習慣が薄れている人もいるほか、台湾で財を成し、欧米へ再移住するチベット人もいたようです。

しかしチベット亡命政府と彼らの間に接触はほとんどなく、台湾に渡った最初のチベット人であるこのグループの実態を正確に把握しきれていないようです。

また、中華民国の認識ではチベットやウイグル等も領土とされているため、チベット人にとっては共産党の中華人民共和国と同じように国民党の中華民国(台湾)も敵でした。そのため、チベット亡命政府や一部のチベット人の中には台湾へ渡った同胞のことを「裏切り者」と考える人もおり、チベットと中華民国(台湾)の関係は冷え込んでいました。

両蔣時代に台湾に渡ったチベット人についてまとめると、時期としては1950年代から1987年に戒厳令が解除される前までに台湾に渡ったグループで、背景には国民党政府による「反共」の同胞集めの政策がありました。彼らは蒙藏委員會を通して台湾に移住し、生活の補助などの厚遇を受けて現地社会に同化していったと考えられています。

90年代以降に台湾に移住したチベット人

西藏台灣人權連線の札西慈仁(左一)と西藏宗教基金會の格桑堅參(左二)

両蒋時代が終わり、台湾社会は民主化へと方向転換しました。李登輝政府はチベット亡命政府とコンタクトを取り、台湾との関係にも変化が表れました。

1997年には李登輝総統がダライ・ラマ14世を台湾に招聘し、その翌年にはチベット亡命政府の台湾代表機関である「達賴喇嘛西藏宗教基金會」が設立されました。

ダラムサラ、街を歩く旅行者とチベット人の物売り

チベット亡命政府と台湾の関係の改善や、台湾では経済が急速に成長したのがこの時期でした。インドでは難民である亡命チベット人は、現地での職業選択の制限があったり無国籍という不利な立場であったため、より良い生活を求めて多くのチベットの若者が外国を目指しました。欧米諸国は生活費用も高くハードルが高い。そこで注目された目的地のひとつが台湾でした。

先に台湾で公的な身分証を得ていた同胞を頼りに、多くのチベット人の若者が台湾の、特に北部の桃園を目指しました。桃園と新北一帯には働き口となる工場が多く、チベット人同士で集まり暮らすようになりました。

しかしここで問題となって来たのがオーバーステイや不法就労でした。それを黙認してくれる工場オーナーの所を渡り歩くチベット人もいたそうですが、警察にマークされており、台湾でも不安定な生活を余儀なくされていました。

2013年に台北で行われたチベットピースマーチのスローガンの一つ

亡命チベット人が台湾で身分証を獲得するまでの経緯は、こちらの記事に詳しいです。

この記事によると、1999年には113名の身分証のないチベット人が台湾の国会議員の力を借りて政府に陳情し、2001年に無戸籍国民であった台湾の亡命チベット人が公的に居留権を得ることができました。

2008年にはさらに130名の身分証を持たないチベット人たちが中正紀念堂の自由広場で不法就労を自首。人権団体の助けを借りて、多くのチベット人が台湾の居留権を得ることができました。

台湾には難民法がないので、上述のように特例を設けて身分証を持たない亡命チベット人の受け入れが行われてきたようです。

台湾にある亡命チベット人関連の組織

現在台湾には、チベット亡命政府の台湾代表機関である達賴喇嘛西藏宗教基金會の他にも、民間のチベット人のための団体があります。

①財團法人 達賴喇嘛西藏宗教基金會


達賴喇嘛西藏宗教基金會はチベット亡命政府の台湾代表機関です。ダラムサラの亡命政府から代表が派遣され、台湾での業務に当たっています。

1998年4月16日に設立され、チベット仏教や文化を広めるため、台湾で仏教課程やチベットに関する情報提供を行っています。日本にある「ダライ・ラマ法王日本代表事務所(チベットハウス)」にあたる目的を持つ機関です。

②在台藏人福利協會

桃園市にある西藏之家

在台藏人福利協會は2004年5月9日に設立された、台湾に暮らすチベット人のための団体です。2020年に桃園市に「西藏之家」を設立しました。

桃園のチベット人コミュニティ「西藏之家」

西藏之家

「西藏之家」は台湾に暮らすチベット人が集まれるコミュニティで、チベット語教室や仏教課程など、チベット文化の継承を目的とした活動が行われているそうです。

2022年の3月には、初めてTibetan Uprising Dayのピースマーチに合わせて、祈祷会が行われました。

2022年3月のピースマーチ後の祈祷会にて

西藏之家

西藏之家

③西藏台灣人權連線

札西慈仁 Tashi Tering(画像右の人物)

西藏台灣人權連線は2017年6月19日に設立された団体です。3月10日のチベットピースマーチの呼びかけや、Lhakar之夜という講演の開催など、主にチベットの人権問題に関するテーマを扱っています。理事長は台湾在住チベット人の札西慈仁(Tashi Tering)さんです。

毎年3月上旬に行われるチベットピースマーチやその他のデモに関する情報は西藏台灣人權連線のFacebookページでお知らせされます。

台北の独立書店「左轉有書」

④蒙藏文化中心

蒙藏文化館

蒙藏文化中心はかつての蒙藏委員會が2006年に改組され、中華民国(台湾)の文化部下に位置する機関として組織されました。台北の青田街にある蒙藏文化館ではモンゴルとチベットの文化に関する展示や、映画上映などのイベントが行われています。

組織の前身が中華民国の蒙藏委員會であることから、現在台湾に暮らす亡命チベット人とはあまり接触がないようです。

310西藏抗暴日遊行 Tibetan Uprising Day

2020年のピースマーチ

台湾における異文化コミュニティと言えば、外部の人間にもオープンな商店街のような形をとっているミャンマー街やフィリピン街などがありますが、台湾に暮らすチベット人は工場勤務が多いためか、それとも元々の人口が少ないためか、常に目に見える形でチベット人が集まっているところを見る機会はあまり多くありません。(もしかしたらチベット仏教関連にはコミュニティがあるのかもしれませんが、筆者は詳しくありません…)

そんな中で年に一度台湾在住のチベット人とその支持者が集まるのが、毎年3月10日頃に行われる「310西藏抗暴日遊行」です。

台北で行われたピースマーチ

310西藏抗暴日遊行 Tibet Uprising Dayのピースマーチは、1959年3月10にラサで起こった蜂起を紀念し、世界の主要都市で行われています。

台北では毎年忠孝復興のそごうから、台北101そばの公園までを行進します。

2022年のピースマーチ

雪域出版社のチベット関連書籍

ピースマーチには毎年たくさんのメディアも訪れる

手作りのボードを掲げる参加者

中国語と英語でシュプレヒコールを揚げる参加者

台北の信義区を行進する参加者

行進中には「ダライ・ラマ万歳」や「フリーチベット」、「中国共産党はチベットから出ていけ」などのコールが揚がります。

ウイグルや南モンゴルの団体も参加している

ここ数年は、香港やウイグル、南モンゴルの団体も参加し連帯を表明しています。

2022年のピースマーチではウクライナ人もスピーチした

2022年のピースマーチでは台湾在住のウクライナ人も参加。祖国が侵略を受けている公民として、チベットとの連帯を表明しました。

終わりに

台南左鎮の噶瑪噶居寺

台湾に暮らす亡命チベット人は人口が少なく、普段の生活でも見かけても気づくことは難しいでしょう。亡命チベット人のインドから台湾への移住は、大きく分けて80年代末までの両蒋時代と、90年代以降の二つのグループがあり、それぞれの境遇は異なるものでした。

現在ではチベット亡命政府の台湾代表機関が置かれ、台湾在住チベット人の生活や宗教に関する業務が行われているほか、在台藏人福利協會や西藏台灣人權連線といった組織がそれぞれのサービスを提供しています。

新北石碇の達香寺

今回は台湾在住チベット人の政治に関する内容が中心でしたが、台湾では80年代からチベット仏教の信者も増えており、各地に寺院が建てられ、僧侶を招いています。宗教を通して台湾におけるチベットを見ると、もしかしたらまた違った姿が見えてくるのかもしれません。

ダラムサラの寺院

参考文献:
参考記事:

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