台湾の知られざるベトナム街:木新市場と木柵市場


台湾のミャンマー街やインドネシア街、フィリピン街などは在住者や観光客にも知られるところですが、ベトナム街というのはあまり知られていないのではないでしょうか。

今回の記事では、王瑞閔 胖胖樹《舌尖上的東協》という書籍を読んで存在を知った台北のベトナム街レポートをお届けします。


ベトナム街はどこにある?


台北のベトナム街は政治大学にほど近い木柵エリアにあると言われています。特に木柵市場と木新市場周辺にベトナム華僑の方が経営している食堂や商店が点在しています。

ただGoogleマップで『越南街』と検索しても具体的な場所は出て来ません。ミャンマー街(緬甸街)やインドネシア街(印尼街)の場合、検索するとマップ上に表示されるのに対して、ベトナム街はスポットとしては認識されていないようです。ちなみにフィリピン街(菲律賓街)もGoogleマップでは検索されませんでした。

今回は木新市場と木柵市場周辺を散策してみました。

木新市場と周辺のベトナム商店・食堂

木新市場

木新市場は木新路の路地を少し入った所にある屋内型の市場です。野菜や惣菜や乾物などの食品を売るブースや、雑貨や洋服などを売るお店が入居しています。

一通り歩いてみると、他の台湾の伝統市場と同じ雰囲気です。唯一ベトナムを感じたのは8番の鳳容食品という雑貨屋さん。


市場の正面入り口を入って左側の奥にあります。


看板に大きく「越南」と書かれた小さなお店のスペースに、所狭しと様々な東南アジア+日韓の食品が並べられていました。


商品はベトナムの物に限らず、タイやインドネシアの物も揃っていました。


お店の老闆娘に話を伺ってみると、ベトナム華僑の方とのことで、旧正月にはもっと色々な種類のベトナムの商品が並ぶと教えてもらえました。

木新路へ戻り、越南小吃168と書かれた食堂へ。


このお店では詳しいお話を聞きませんでしたが、台北によくあるベトナム料理の食堂といった感じでした。

メニューはフォーなどの麺類、ご飯もの、生春巻きなどのサイドメニューにバインミーというフランスパンのサンドイッチ、そしてベトナムコーヒーというラインナップ。


価格帯もお財布に優しく、普段使いできるような気取らない食堂です。メニューは中国語とベトナム語の両方で表記されていました。



この日は海鮮河粉(シーフードのフォー)を注文。海鮮の具材は下の方に隠れていました(笑)。


ベトナムコーヒーも注文。こういう食堂では40〜50元くらいで飲むことができます。


木柵路沿いのベトナム料理屋


上述の木新市場周辺は、ベトナム関連のお店が密集しているという訳ではなく、若干数の店舗が点在しているという感じでした。


木柵市場に向かう道中、木柵路を走行していると、ベトナム料理屋が並ぶ区画を見つけました。


興味深いのは、ベトナム料理のお店でありながら「港式」や「廣式」の文字がメニューや店名に挙げられていた点です。

 

木柵路のベトナム料理屋の並びの一店舗、越港料理さんに入ってみました。


店名が「(ベトナム+香港)」であることもあり、入店してすぐに気づいたのですが、お店の方同士は広東語で会話をしていました。

調理台そばに並んでいる粽やスイーツ?は広東風のものでしょうか。


越南春捲加烤肉涼拌を注文しました。


食べていると、近所に住むという台湾人のおばあさんも来店。日々の食事処として親しまれるベトナム料理屋のように感じました。


木柵市場周辺のベトナム商店・食堂

文如越南食品行

王瑞閔 胖胖樹《舌尖上的東協》によると、木柵市場そばにある文如越南食品行は台湾で最も古いベトナム商店だそうです。

老闆娘は流暢なベトナム語を話すカンボジア華僑で、台湾に移住して30年ほどだと教えてくださいました。



2020年11月現在、店頭に並んでいるのはベトナムやタイ、インドネシアから輸入された食品や調味料が中心でした。

現在ではベトナムやインドネシアからの結婚移民や労働者も台湾にはたくさん住んでいるので、東南アジアの食品を扱う商店は各地に点在します。

しかし1980年代、90年代にはまだまだこういったお店は少なかったでしょうし、当時のベトナム華僑やその他の東南アジアの国から移住して来た華僑・華人にとっては、こうした故郷の味を扱うお店は貴重だったことでしょう。



調味料やインスタント食品のほか、台湾の一般的なお店では見かけないような野菜も並んでいました。




木柵市場を離れ保儀路を下って行くと、越南大食館という食堂があります。

越南大食館

港式鮮蝦雲吞麵

メニューは中国語とベトナム語が併記されており、越南河粉(フォー)や生春巻きなどの他に、ここでも「港式」と書かれたメニューが目立ちました。



老闆娘にお話を伺うと、広東系のベトナム華僑だと教えてもらえました。台湾に移住して30年ほどだそうで、こちらも早くから台湾に移住して来た方のようです。


台北ベトナム街形成の歴史

今回の記事では『ベトナム街』と言う表現を使っていますが、2020年現在では、例えばミャンマー街やインドネシア街のように、一ヶ所にその国出身の方々のお店が密集しているわけではありませんでした。そして、ベトナム街を形成したのはベトナム人ではなくベトナム華僑です。

なぜこんなにも広範囲にベトナム関連のお店が散らばっているのにベトナム街と呼ぶのか?これには事情があるようです。

ベトナム戦争終結、難民となったベトナム華僑は安康社區へ

1975年、20年に及ぶベトナム戦争が終結しました。それに伴い難民となったベトナム在住の華僑たちが台湾へ逃れて来ました。その数はこの時期前後を合わせると6000名近くに及んだそうです。

同年には台北の文山区に低所得者向けの住宅『安康社區』が完成し、ベトナム華僑たちはそこに集まりました。

集まったベトナム華僑たちの中から故郷の味を提供する屋台や露天商を経営する人が登場し、1984年にはそういった店は安康市場に収容されることになりました。この際に安康市場は知る人ぞ知る『ベトナム街』となったようです。

しかし安康市場の交通が不便なこと、周囲には木新市場や木柵市場、興隆市場などの施設があることから閑散とするようになり、2006年には閉鎖されてしまいました。

参考資料:
她因緣際會成了華僑落腳之處:你知道台北有一條「越南街」嗎?

安康市場閉鎖後、木新市場や木柵市場周辺へ

安康市場閉鎖後、一部のベトナム華僑は木新市場や木柵市場周辺に場所を変え商売を続けているようです。この時に散らばってしまったからなのか、ベトナム華僑だけが一ヶ所に密集することがなくなり、現状では各地にお店が点在するようになりました。

点在しているベトナム華僑の料理屋の共通点として、今回の散策では「港式」メニューの存在が確認できました。

王瑞閔 胖胖樹《舌尖上的東協》によると、ベトナム華僑は海南島にルーツを持つ華人が多いと書かれていましたが、今回訪ねたお店では出会うことはありませんでした。


最後に


1975年のベトナム戦争終了以降、大勢のベトナム華僑が台湾へ逃れて来ました。彼らは木柵の安康社區に集まり、安康市場は人々の間でベトナム街と呼ばれるようになりました。

2006年の安康市場閉鎖にともない、ベトナム華僑たちのお店は近隣の木新市場や木柵市場周辺に移転することになりました。現在では一定の場所にベトナム華僑のお店が集まっているわけでなく、各地に点在しているようです。

木柵エリアのベトナム料理屋にはメニューや店名に「港式」や「廣式」が見られるという共通点がありました。これは彼らベトナム華僑のルーツが広東系だということを表しているのでしょうか。書籍によるとベトナム華僑は海南島ルーツの方が多いという話でしたが、今回の私の散策では出会えていません。

また、現在の台湾にはベトナム華僑だけでなく、結婚や労働の為に台湾で暮らすベトナム人も非常に多く、わざわざ探さなくても各地にベトナム料理のお店が見つかります。

当初、これらのお店は同胞を対象としたビジネスでしたが、今では台湾人にとってもベトナム料理の味は馴染み深いものとなっているようです。


参考資料


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