チャタルホユック(Çatalhöyük)はトルコ中部のコンヤを拠点に行くことができる新石器時代の遺跡で、ユネスコの世界遺産にも登録されています。パッケージツアーなどで日程に組まれていることもあるようですが、個人で行く場合どうやって行くことができるのかネット上に情報が非常に少ないです。2018年8月に実際に行って来たので、今回はコンヤからチャタルホユックへ行く方法と、見学して来た感想を記しておきます。
チャタルホユックとはどんな遺跡か
私がチャタルホユック(チャタルヒュユクとも表記される)という名前を初めて耳にしたのは大学二年の時に履修した史前史(Prehistory)の授業でした。その授業を開講していた台湾大学の江芝華老師が芭樂人類學に寄せたこちらの記事も紹介しておきます。
▶︎考古學家的社會想像 | 江芝華 芭樂人類學
トルコのアナトリア高原南部にあるこの約9000年前(紀元前7500年頃)の集落遺跡は、人類の社会の発展モデルを再考させる重要な遺跡です。同時に発掘の様子が公開されている公共考古学的な活用の側面もあり、当時よりずっと一度訪問してみたいと考えていました。
9000年前のこの地域は新石器時代。人々は集落を作って定住をしていたようで、このチャタルホユック遺跡ではその家屋の様子を見学できます。
出土した動植物の科学的な分析を行なった結果、チャタルホユックの人々は作物の栽培や動物を飼育していたことがわかったのですが、同時に野生植物の採取を行なっていたり、家屋の壁に残された狩猟のシーンを描いた壁画から推測するに、野生動物の狩猟も行なっていたようです。
私たちが古代の農業社会を考える際に、人々が定住を始めたら農業で生計を立てるイメージがあると思うのですが、どうやら農業を始めた人類は同時に狩猟採集の習慣も捨てていなかったようです。
また、たくさんの家屋が密集する形でひとつの集落を形成しているチャタルホユックですが、全ての家屋が同じ構造で作られており、権力者のための特別な建築や宗教施設などの大型の建築跡が見られないことから、チャタルホユックは人々が平等な社会であったのではないかと考えられています。
それに関連して、チャタルホユックの人々は亡くなった家族を家の中に埋葬する習慣があったのですが、副葬品として埋葬される品物に男女や家庭間での差があまり見られないことも、社会に階層がなかったのではないかと考えられる根拠となっているようです。
チャタルホユックでは室内葬の習慣があるため、一つの家族が暮らす家に亡くなった家族の成員を埋葬していきます。チャタルホユックには約2000年にわたり人々が居住していたようですが、埋葬の際に床を埋め立てるため、家自体も上へ上へと積み上がっていったようです。そのため発掘を進めていくにつれ、下の層には古い時代の家が出現しています。
▶︎考古學家的社會想像 | 江芝華 芭樂人類學
トルコのアナトリア高原南部にあるこの約9000年前(紀元前7500年頃)の集落遺跡は、人類の社会の発展モデルを再考させる重要な遺跡です。同時に発掘の様子が公開されている公共考古学的な活用の側面もあり、当時よりずっと一度訪問してみたいと考えていました。
9000年前のこの地域は新石器時代。人々は集落を作って定住をしていたようで、このチャタルホユック遺跡ではその家屋の様子を見学できます。
出土した動植物の科学的な分析を行なった結果、チャタルホユックの人々は作物の栽培や動物を飼育していたことがわかったのですが、同時に野生植物の採取を行なっていたり、家屋の壁に残された狩猟のシーンを描いた壁画から推測するに、野生動物の狩猟も行なっていたようです。
私たちが古代の農業社会を考える際に、人々が定住を始めたら農業で生計を立てるイメージがあると思うのですが、どうやら農業を始めた人類は同時に狩猟採集の習慣も捨てていなかったようです。
チャタルホユック遺跡 |
それに関連して、チャタルホユックの人々は亡くなった家族を家の中に埋葬する習慣があったのですが、副葬品として埋葬される品物に男女や家庭間での差があまり見られないことも、社会に階層がなかったのではないかと考えられる根拠となっているようです。
チャタルホユックでは室内葬の習慣があるため、一つの家族が暮らす家に亡くなった家族の成員を埋葬していきます。チャタルホユックには約2000年にわたり人々が居住していたようですが、埋葬の際に床を埋め立てるため、家自体も上へ上へと積み上がっていったようです。そのため発掘を進めていくにつれ、下の層には古い時代の家が出現しています。
コンヤからチャタルホユックへ行く方法
チャタルホユックへ行くには、まずは中部のコンヤを目指します。コンヤからバスでチュムラという街へ行き、チュムラからタクシーをチャーターしてチャタルホユック遺跡へ行くことができます。
コンヤのバスターミナル(Karatay Otobüs Tarminali)
コンヤ郊外には他の大都市へのバスが到着する大型のバスターミナル(オトガル)がありますが、近郊のチュムラへのバスが出ているのはKaratay Otobüs Tarminali(カラタイ・バスターミナル)です。メブラーナ博物館あたりからなら徒歩で行くことができます。Karatay Otobüs Tarminali |
コンヤ〜チュムラ間のバスチケット(7リラ) |
コンヤ〜チュムラ間を走るバス |
バスの車内から。路上にスイカを売るテントが出ている |
チュムラのバスターミナル(Çumra Otogarı)
チュムラのバスターミナル |
チュムラのバスターミナルに到着。写真はターミナル正面ですが、裏側の出入り口付近にタクシーが客待ちをしています。
タクシーの運転手にチャタルホユックへ行きたい旨を伝え、目的地までの往復と遺跡見学の間、1時間〜1.5時間ほど待機して欲しいと交渉をします。タクシーの運転手はあまり英語を話さないようだったので、こちらもトルコ語の単語とチャタルホユックという地名だけでのコミュニケーションでしたが、運転手も慣れているのか、わりとスムーズに話が進み、すぐに 80リラ(約15ドル / 1700円)という料金を提案されました。ネットで調べた情報では100リラもしくは18ドルという話だったので、予想より少し良心的な値段でした。
チュムラのバスターミナルからチャタルホユック遺跡まではタクシーで20分程度です。
参考資料
チャタルホユック遺跡を見学
チャタルホユックの遺跡にはテントに覆われた二つの発掘現場と、新石器時代の家屋を再現した博物館があります。タクシーを降りて最初に目に入るのが左手の家屋のレプリカです。博物館はあとでゆっくり見学するとして、まずは正面に見える大きなドーム型のテントを目指します。
チャタルホユックサイトの入り口 |
少し坂になっている道を登るとドーム型のテントが見えて来ます。私以外に見学に来ている人は見当たりません。
チャタルホユックの発掘現場 |
Çatalhöyük |
一つ目のテントです。内部は平面状に家屋が並ぶ集落の遺跡が保存されています。
家屋の発掘現場 |
テントの中には参観者が歩くための通路が作られています。チャタルホユックの発掘は今でも毎年続いており、発掘作業の現場を間近に感じることができます。私が訪れた時期は発掘作業中ではなかったので、ほぼ無人のなかゆっくりと見学ができました。
家と家の間は壁によって分けられています。
遺跡を風雨から保護するために全体が覆われているため、風も入らず夏場は非常に暑くなっています。
一つ目のテントを見学し終え、一旦外に出ます。チャタルホユック周辺は現在ではのどかな田園地帯です。
地表に土器のかけらが散乱していました。
道なりに歩くと、二つ目のテントが見えて来ます。
こちらの遺跡は丘の斜面に沿って高低差があります。上から遺跡を見下ろしている様子。
各所に土嚢が積まれていたり、補強がなされています。
壁に赤い顔料で何かが描かれていることを示す透明のボードがあります。
何か細かい図柄と、太い横線が家の壁に描かれているようです。
遺跡を下から見上げた様子。補強をしながらさらに下へと発掘をすすめているようです。
公共考古学とチャタルホユック遺跡
チャタルホユックは1958年にイギリスの考古学者 David French、Alan Hall と James Mellaartによって発見されました。初期の発掘は主に60年代に Mellaart によって行われました。その後時間が開いて1993年にケンブリッジ大学のイアン・ホダーが発掘を開始し、現在に到るまで定期的に調査が行われています。
▶︎Çatalhöyük Research Project
公共考古学(Public Archaeology)とは考古学の一分野で、発掘調査などにより明らかになった考古学的な発見を一般に公開することや、遺跡の保存、考古学教育など内容は多岐に渡ります。
考古学の発掘調査というものは、過去の人類の生活を物質的な証拠から復元し解釈するものですが、発掘というのは遺跡を破壊する行為でもあります。一度掘ってしまえば、その遺跡は二度と元には戻りません。そのため発掘を行う際には遺跡のコンテクストを記録していく必要があるのです。
公共考古学的な視点から見ると、チャタルホユックは現在も調査が行われているアクティブな遺跡であり、常に一般の人々にその様子が公開されている点が特徴的です。2018年の時点でも発掘は行われており、チャタルホユック研究のウェブサイト上には毎年の調査レポートが公開されています。
▶︎調査レポート
公共考古学(Public Archaeology)とは考古学の一分野で、発掘調査などにより明らかになった考古学的な発見を一般に公開することや、遺跡の保存、考古学教育など内容は多岐に渡ります。
考古学の発掘調査というものは、過去の人類の生活を物質的な証拠から復元し解釈するものですが、発掘というのは遺跡を破壊する行為でもあります。一度掘ってしまえば、その遺跡は二度と元には戻りません。そのため発掘を行う際には遺跡のコンテクストを記録していく必要があるのです。
公共考古学的な視点から見ると、チャタルホユックは現在も調査が行われているアクティブな遺跡であり、常に一般の人々にその様子が公開されている点が特徴的です。2018年の時点でも発掘は行われており、チャタルホユック研究のウェブサイト上には毎年の調査レポートが公開されています。
▶︎調査レポート
私たち一般人が発掘中の遺跡を見ることができたり、調査レポートも自由にダウンロードできて、その遺跡についての知識を得る事ができるようになっていることが、このチャタルホユック研究プロジェクトの面白い点だと思います。
チャタルホユックの博物館とビジターセンター
遺跡見学を終えて最初の場所に戻り、家屋のレプリカと遺物が展示されているビジターセンターへ向かいます。
遺跡にあったチャタルホユックの家屋のレプリカ。内部も厨房や穀物庫などが再現されています。
チャタルホユックの家の入り口は屋根の部分にあり、ハシゴを使って家の中に入るようです。家の作りはどれも同じで、屋根の上は通路としても使われていました。
隣の建物はビジターセンターで、遺跡の解説や出土した遺物が展示されています。ここ以外にもコンヤの考古学博物館にもいくつかの出土品が展示されています。
黒曜石製の道具 |
大学二年の時に初めてチャタルホユックのことを知り、同じく大学で公共考古学の授業を受けた際にもこの遺跡についての話が出たので、かねてよりずっと訪れてみたかったチャタルホユックへ行くことがかなって良かったです。
個人で行くには少し手間がかかりますが、コンヤから日帰りでいける距離なので、トルコ中部を旅行する事があったら行ってみるのも良いかもしれません。コンヤの考古学博物館にもチャタルホユック関連の展示品も若干ありますし、ルーム・セルジューク期のモザイクタイルが美しいモスクなどもあるので、コンヤ自体も観光が楽しい街でした。
チャタルホユックについて
チャタルホユック Çatalhöyük
住所
Küçükköy Mahallesi, Çatalhöyük Yolu, 42500 Çumra/Konya (Google map)
アクセス
コンヤからチュムラへバスで行き、チュムラからタクシーをチャーター
開放時間
9:00~17:00
休園日
なし
参考資料
ユネスコ
Çatalhöyük Research Project
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